「あかり。」第2部 S#77 湯治場の熱い湯・相米慎二監督の思い出譚
監督と数日、湯治場で過ごしたことがある。
新潟のどこかの山奥だった。
常々、腰が痛い、背中が痛いと言うひとだったから、新潟の知人を尋ねるついでに湯治をしようとなったのだろう。よく効くという話だった。
元々、僕は同行する予定はなかったのだが、
「なんでよ、行こうじゃないか」と半ば無理やり誘われたのだ。
別の同行者は女性だったので、僕は遠慮もしていたし、間に入るのも嫌だった。
あれはどういう意味なのか? 二人きりになりたくないとか、そんなことなのだろうか。とりあえず僕を連れていけば面倒は避けられると踏んだのか……聞いたことはないので真意は分からずじまいだ。(それにそんなことを知ることに意味もない)
いずれにしても同行者にしてみれば邪魔者だったと思う。
その湯治場はかなり年季の入った宿で、まあ簡単にいえば相当ボロかった。
長く湯治に逗留するにはこういう宿のほうが安上がりだし、効果もあるのかもしれない。
少し離れたところから建物を眺めて見たのだけど、まるで時代劇の中に出てくるような宿だった。
(後年、読んだ池波正太郎先生の梅安シリーズで、大仕事を片付けてしばらく身を隠すために熱海の湯治場がよく出てくるのだが、小説を読むたびに、あの監督と行った湯治場を勝手にイメージしている。)
宿に着くと、早速、温泉に入った。
これが、とてつもなく熱かった!
こんな高温のお湯に入ったことはない。
すぐに出た。
「監督、大丈夫ですか?熱くないですか?」
「こういうのが効くんだ。ムラモトくんは我慢が足りないね」
と、確実に熱いくせに僕をからかっている。
「すいません、僕はもう限界なのでお先に出ます」
「あー、無理するな」
休憩所にいるのは、常連ばかりで、老人ばかりだ。
水を飲み、サイダーを飲み、ぼおっとしていると、監督もやってきた。
やはり、熱かったとみえ、茹っていた。
ビールと乾き物を頼み、しばらく風に吹かれていた。
眺めると、常連客たちは実にこ慣れた動きである。タオルの干し方、水分の摂り方、休み方。話し方。
なんにでも板についた動きがある。
僕はひとの板についた動きが大好きなので、しばらく観察していた。
その夜は、鄙びた狭い部屋で三人で呑んで、いろんな話をした。しかしながら、その内容はなにひとつ覚えていない。
なぜか、その夜、なにを食べたのかも覚えていない。
時々、また入ってくると言って監督は湯に入った。
効いたのかどうか分からない。
「湯あたりするからな」と、一回一回はとても短い。
元をしっかり取ろうとしていたのかもしれない。
ああいうはっきりとした目的のない旅というものをほとんどしたことがない。誰かにちょっと会うためだけに遠くまで出かけ、その邂逅はたいした時間でもなく、特に感動的なわけでもない。
それでいて、流れる時間は豊かというか無為というか、ゆったりとしているのだ。
今、自分のささやかな暮らしの中で、時間は実に無為に流れているが、決して豊かとは呼べない。
だからこそ、あの頃がとても懐かしく思えるのだろう。