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『あかり。』第2部・相米慎二監督の思い出譚/ S#72 まなざし
映画監督に必要なものはなんだろう?
色々あるっちゃあるんだろうけど、なんといっても「まなざし」じゃないかと思う。
人を見つめる「まなざし」である。
それが、深ければ、あるいは温かかければ尚いい。
そういうものはきっと天性のもので、なかなか備わっているものではないのだ。
それは若い頃には気付けないもので、自分にはあると錯覚して物事を進めてしまう。
あるシーンで僕が必死で撮っていると、監督の視線を背中に感じた。
僕は監督に「毎日見にきてください」とお願いしていた。
寸足らずの演出を黙って離れたところから見守るというのは、とても難しい。(後年、僕もそういう機会があったが、とても無言ではいられなかった)
監督はカメラの後ろの方にいて、僕がどう撮るか……つまり俳優をどう見つめるのかを見ていた。
俳優もそれをわかっている。やりずらいことだったろう。
しかしながら、そのプレッシャーにお互い勝たなければいけないわけで、僕たちはなんとかやっていた。
しかし、奥菜恵の単独のそのシーンで、僕がチラッと後ろを向くと監督は小さく首を振った。
あ……やっぱりか……。
喧嘩してどこかに行った彼氏をアパートの階段の踊り場で待っているシーンだ。
どちらかというと、つなぎのシーンなのだけど、ここの心情が大事なんだぞと監督に言われた気がした。
カメラは遠景で狙っているので、役者のいる場所をダッシュで往復することになった。
何度やっても背中の視線は痛いままだ。
胸が苦しくなる。
役者にかける言葉も、もう浮かばない。
夜はどんどん深くなる。
どうしたらいいんだろう、長回ししても動きは変わらない。
全身の芝居だから表情にも逃げられない。
こんなときに妥協して寄りを撮ったら、それこそため息を吐かれるだけだ。
時間が過ぎ、どうしようもないまま、何度も撮り直した。
やがて、奥菜恵が捻り出した感情が全身に浮かんだ。
あ、これなら……と思い、カメラを止めずに回した。
「OK!」と言う前に少しだけ顔を後ろに向けると、監督がごくごく小さく頷いた。
僕は泣きそうになりながら、大声で「OK!」と怒鳴った。
胸が熱くなったのを今でも思い出す。
あんなカットを撮れたことは、あれ以来ない。
しかし、ほんと苦しかったなあ……。