
『あかり。』第2部 S#78 許されざる者・相米慎二監督の思い出譚
深夜、見たい映画が配信でどうにも見つからなくてグルグルとタイトルやキャストやなんやかやを見続け、時間が過ぎていくことはないだろうか。
僕はたまにある。
何日かかけて『SHOGUN』をようやく見たのはいいが、その後ハズレが続き、なかなかはまらない。
それは作品が悪いのではなくて、こちらの気分と合致するものに当たらないだけである。
そんな夜に、何度目かの『許されざる者』(日本版)を見た。
オリジナルは、C.イーストウッド主演・監督の名作である。
この映画のことを相米監督はすごく好きだった。
イーストウッド監督作品が好きだったのもあるが、この作品のことを酒の肴に何度も話したことがある。
「あいつしかいないだろう」
あいつ、とはイーストウッドのことである。
監督とは真逆の撮り方をする。ワンテイクでOKを出すので有名なイーストウッド。
僕もイーストウッドが昔から好きだったから、その話になると嬉しくて、色々話したのだが、細かいことはみんな忘れた。
あいつしかいない……とは、どういうことなのか。
その意味を考えることが、映画について考えることであった。
あの映画は、実に映画らしくて、(生活費……金のために賞金稼ぎに戻らざるを得なくなる悲しい男の話なのだが、)そこに映っているのは、どのカットもどのシーンも映画そのものなのだ。
では、何をもって『映画らしい』、と言うのかが、考えなくてはならないことである。まるで禅問答みたいだ。
日本版もスケール感を持って描かれてはいるが、オリジナルには叶わない。それはリメイク版の宿命である。
というより、なんでわざわざリメイクしたのかがわからない。
それがわかるように誰かが説明してくれれば、もっと素直な気持ちで楽しめるのだろう。
『許されざる者』はサウンドトラックも素晴らしくて、Spotifyでもあるので
よかったら探してみるといいです。
音楽もイーストウッドが自分でやっていて、とてもシンプルなメロディをいろんなアレンジで豊かに広げている。
ああいうのも実に映画的……と言える理由なのかもなあ。
秋の気配がする夜中には、この映画はとてもよく似合う。
日本版を見て、翌日、行きつけのカフェで柄本明さんにばったり会った。
声をかけられ一瞬戸惑った。
数時間前、映画の中で、馬に乗って北海道を走っていた人を下北沢で見る不思議。
まあ、こんなこともあるのだろう。