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AIの現在地

最近、あらためてAIの威力を感じさせられました。
というのも、☟のnoteを読んだからです。

おふたりともたいへんリテラシーの高い方なので、決してAIを万能視してはいないと思われます。
久保一真さんは、AIから効果的な答えを引き出すのは人間の質問力次第だと指摘しておられます。
りなるさんは、AIをあくまで人間の遊びのツールとして活用することを提案しておられます。
また、AIも創作力はまだまだ弱いと両氏とも感じておられるようです。

情報のデジタル化が進むにつれ、AIが力を増すのは当然です。
その昔、Googleを立ち上げた人たちは、大英博物館British Museumを含む地球上のあらゆる知をデジタル化する、というビジョンをもっていたそうです。
彼らにはその頃からすでにAI時代の到来が見えていたのでしょうね。

私の職場では、好奇心curiosityとか学びlearningといった言葉が飛び交っていましてね。
なんでも知ろうとする姿勢が大切である、と言わんばかりです。
知りたいことがあったらAIに訊けばいい。
たしかに、かつてGoogle検索で調べていたような知識・情報は、AIが教えてくれます。しかし、本当に知りたいことは、どんなに優れたAIでも教えてくれません。

たとえば私は、とある新製品の生産設備投資を予算化するため、その新製品の販売見込みを知りたい。これはAIに訊いても無理ですよね。
なぜAIはその問いに答えられないのか?
それは必要な情報がデジタル化されていないからです。

同じ問いをマーケット・インテリジェンスの人間に投げてみました。
そしたら、その日のうちに答えが返ってきました。
どうしてわかるのですか?と訊くと、マーケットサイズ、コンペティターの動向、現行モデルの売れ行き、新製品のスペックなどから、だいたい予測できるものです、と言われました。

これらのデータはデジタル化されていません。
彼らの頭の中にあるのです。
経験知・暗黙知ですね。

AI要らんやん、と思いました。
また、AIを使わないのならデジタル化する必要もないな、と。
もっと言えばですね。情報をデジタル化すればするほどAIが力をもつのだから、AIに力をもたせないためには敢えてデジタル化しないというのが人間のとるべき戦略ではないか。

重要情報やいいアイデアは、口頭で伝えることにするか。どうしても残しておきたい場合は、紙のノートに書くことにしようと思います。

情報は力なり。
そう感じる場面は、仕事や私生活の中にもあふれています。
私たち人間は、いつからそうなったんでしょうね。
もともとホモ・サピエンスとはそうした種であったという説もあるようで。情報の有無が生死を分けることがあり、それを最も熟知していたサピエンスが最後に生き残ったというわけです。

自分の生死を分けるような情報はデジタルの世界には(まだ)ないと思っています。そのような情報は、自分自身が作り出したもののなかにしかないと思うからです。

おふたりの記事に倣い、今のところAIは自分の考えのブラッシュアップ用や遊びのツールとして活用するくらいがちょうどいいですね。