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若者よ。食事を楽しんでいるか

ジュネーヴに戻ってまいりました。

これまで日本に一時帰国するたびに、日本で感じた違和感について書いてきました。
今回もそれなりにありましてね。

先月の noteのなかで、注文や会計のタッチパネル化が進んでいることに触れましたが、このトレンドは仕方のないことだと納得しました。
というのは、店員さんとの意思疎通が難しくなっていることを実感したからです。

日本滞在中、コンビニでお弁当を買ったとき、
「お箸はなんでおつけしますか?」
とレジの店員さんに訊かれまして。

お箸をつけてもらうのに理由が要るようになったのか・・・とショックを受けました。
「えーっと・・・私はいまホテルに宿泊しておりまして、ホテルのお部屋にお箸がないんですよ。それでその、お箸があるとお弁当が食べやすくなるかなと思ったんですが・・・そんな理由では弱すぎますかね(汗)」

店員さんはポカーンとしていましたが、もう一度
「お箸はナンゼンおつけしますか?」
と言いなおしました。

ナンゼン・・・?
「何膳」か!
そんな日本語初めて聞いたわい。
てゆーか、早口過ぎて聴き取れないっての。
店員さんはお弁当を会計するたびにそのセリフを言っているから早口になるのは仕方ないのでしょうが、こっちは初めて聞くセリフですから。

だいたい、お弁当 1個買った客に「お箸を何膳」って訊く必要ありますか?
もしここで「200膳つけてください」って答えたら、200膳つけてくれるのでしょうか。

また別の日。
某餃子が美味しいお店で、ちょい呑みセットというのを注文しました。
そしたら店員さんが
「ゴム手される予定はありませんか?」
と言いました。

ゴム手?
ゴム手袋のことを近頃はそう呼ぶようになったのだろうか。
いやそれより、ゴム手袋をつけて餃子を食べる人が増えているのか?

「え?なんですか?もう一度言ってください」
と 3回聞きなおして、
「ご運転される予定はありませんか?」
と、彼は言っているのだとわかりました。

ご運転?
「ご」要る?

ベトナム人におかしな日本語教えるのやめてください。


そんな話はさておき。
私は「おひとり様」検定1級を自認するくらい、たいていのお店にはひとりで入れます。
そんな私も、最近の日本はおひとり様が増えたなあと感じます。
ラーメン屋さんやファストフード店にひとりで入るのはごく普通としても、昔ならひとりでは入りにくかったようなお店でも、ひとりで入る人が増えましたね。
例えば、やきとり屋とか割烹居酒屋などで。
それも、私のようなオッサンだけでなく、20代・30代の若者がひとりでそういうお店で食事しているのをよく見かけました。
男性も女性もいます。

今どきの若者はけっこう余裕があるのかなあ、と思ったりもしたのですが、ちょっと思ってたのと違いました。
それは、彼ら彼女らの食事の仕方のことです。
食べているときもずーっとスマートフォン見てるんですね。
スマホがメインで食事がサブになってる。

料理を見てもいません。
自分が何を食べているのかまったく興味がない様子なのです。
味もわからないんじゃないかな。
「食事」というより、「摂取」か「作業」というのに近い。
いちおう食物を口に運んではいますが、いっそのこと食器と口を管かなんかでつないでオート摂取できるようにしたらいいのに。
そもそも料理である必要もなくて、栄養分が取れる物質ならなんでもいいんじゃないか?と思えてきます。

左手にスマホ、右手にお箸という二刀流スタイルはお行儀が悪い、みたいなことを言いたいのではなく。
そんな食事楽しいですか?と思うのですよ。

おひとり様が増えた理由がわかった気がしました。
誰かと食事に行っていたときは、食べることよりもその相手と時間を共にすることが主目的でした。デートなんかもそうですね。
今は、その相手(人間)がスマホに置き換わっただけのこと。
スマホという恋人と共に過ごすついでに腹を満たす行為が今どきのおひとり様なのではないか。

食べることが主目的ではない点で同じようにも見えますが、そこには決定的な違いがあります。
人と食事をすることには相乗効果がある。食事によって会話が楽しくなり、会話によって食事が美味しくもなる。
スマホめしは、スマホにほぼ 100%集中することで、食べる楽しさや喜びを忘れさせる効果があるのではないでしょうか。


久しぶりに日本のテレビを見ると、タレントに何か食わせて「おいしい!」と言わせる番組のオンパレードですね。
全局総くいしん坊万才になってしまうのも仕方がないと思いました。
コンテンツが多様になりすぎて、ワンコンテンツでは視聴率が取れないのでしょう。広く浅く見てもらえるネタが「食」くらいしかないのです。

しかし、番組制作者は気づいているだろうか。
今どきの若者は「食」に興味がなくなっていることに。
彼らはコンテンツを食べて生きている。食物は、生命を維持するために仕方なく取り込む酸素と同じくらいの位置づけになっているように思えます。

これもタイパ志向の表れなのかもしれませんね。
たかが栄養補給のために時間を費やすのはタイパが悪い、というわけです。
そのうち、錠剤やカプセル状のサプリメントだけで “食事” を済ませる人たちが出てくるのでしょうか。
そしていつか、昔の人々はやたら時間をかけて「食事」という行為をしていたらしい、不便な時代だったんだね、なんて言われたりして。