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「つまらない」の正体

ゆうです。
先日、大学院のゼミで扱ったテーマがちょっと面白かったので、みなさんと共有したいと思いました。
若者と年輩者。どっちがより毎日を楽しんでるかって話です。

10代の若者って今が楽しくてキラキラしてるイメージがあるけど、得体の知れない不安と不満を抱えてモンモンとしてるイメージもある。
年輩者は、現役を引退したオーバー60を想定してるんだけど、第二の人生を謳歌してる人がいたり、何が楽しくて生きてるんだかわからないような人もいたり。

20代から50代までの現役世代は何かと忙しくて、毎日の楽しさを考える余裕がない。あえて10代の若者と60代以上の年輩者に焦点を当てた「楽しい」の社会学的考察ってわけ。

あたしも含め、ゼミ生はアラサーが大半。(教授はオーバー60だけど)
両者の間にいる立場から、イマドキの若者と年輩者の楽しみと悩みについて考える回でした。

最初に、フィールドワークで都内の高校生たちにインタビューしたチームが発表しました。
これがけっこう衝撃的。
全然青春してない!
とにかく学校がつまらない、という声が多数。これはまあ、わかります。
問題は、学校外での活動です。
友達同士でつるんでいるのかと思いきや、バラバラなんです。
塾に行く子。家でゲームしてる子。スマホしてる子。
友達はいますか?と聞くと、「います」と答えるんだけど、LINEとかでつながってるんだよね。まあ、これもわかる。
いま楽しいことは何ですか?と聞くと、「とくにないです」とみんな言う。
本当はあるけど、言わないだけなのかもしれません。それにしても、全然楽しそうじゃない、ってのが調査チームの感想でした。

続いて、60代以上の男女にインタビューしたチームの発表。
こちらは聞いてて明るい気持ちになれました。
みなさん、何かしら語れるものを持っています。
趣味の話をする人。日課の話をする人。旅行の話をする人。孫の話をする人。
自分にとって大切なものが確立していて、迷いがない感じ。
悩みとかはありますか?と聞くと、健康の問題や老後の心配(まだ老後じゃないってことですね)など話してくれますが、そこに悲愴感はありません。

「10代の反応は想定内ですね」
教授は笑いながら言いました。

「何もかもつまらないって感じでした」
インタビュアの人が言いました。

「そりゃそうでしょう。こんなクソつまらない社会で生きてれば」
教授のいつものクソ語録です。
「君たちはほんの10年前に10代だったから、彼らの “つまらない” に共感できるんじゃないですか?」

ゼミ生の女子が発言しました。
「たしかに学校はつまらなかったですが、ほかに “つまる” こともあった気がします(笑)」
「たとえば?」
「友達とバカ話したり、遊びに行ったりですかねぇ」
「どこへ遊びに行っていたのですか?」
「私の家はド田舎でしたから、わざわざ電車に乗って街まで行ってました」
「街で何をしていたんですか?」
「う~ん、何してたかなぁ・・・ゲーセンに行ったり、ドーナツ買ったり、ただプラプラ歩いたり。よく考えたらつまらないですね。バカみたいっていうか(笑)」
「あははは。バカみたいですか。私が10代のときはもっとバカみたいなことやっていましたよ。空気銃でカラスを撃ったり、大きなお屋敷の庭に爆竹を投げ入れたり、深夜のお寺に忍び込んだりしていました」

「それ全部、犯罪じゃないですか」
とゼミ生の男子が笑いました。
「今やったら捕まるでしょうね」
と教授は苦笑しました。

そこから、ゼミ生の議論になりました。
「今の10代は、バカをやれなくなったんだろうね」
「バカをやると捕まるから?」
「すぐに通報されちゃうからね」
「昔は通報されなかったのかな。庭で爆竹鳴らされるくらいでは・・・」
「いや、通報するでしょ(笑)」
「昔の大人たちはもっとおおらかだったんじゃない?子供のやることだから大目に見よう、みたいな」
「大人たちとか、社会全体におおらかさがなくなってるのかな」
「何でも禁止してしまうからねぇ。二人乗りとか。夜遊びとか」
「あと、焚き火とか、フォークダンスも禁止されたよね」
「ナニ時代の話だよ(笑)」

ゼミ生たちの議論を、教授はにやにやしながら聞いています。
結論が出ました。
今の若者は、毎日がつまらないと思っている。
それは、ドキドキするような体験がないから。
ドキドキするような体験には、多少の危険やスリルがあるもの。
それらは、学校や親や法律によって悉く禁止されてしまった。
若者がつまらないのは、つまらない社会をつくった大人たちのせいである。

教授「年輩者はつまらないと思っていないのでしょうか?」

調査結果を聞いたかぎり、日々の生活の「軸」となる営みを持っていて、今をそれなりに楽しんでいるように思えました。
10代の「つまらない毎日」とはだいぶ違います。
同じ社会の中で生きているのに、なんでだろ?

「先生は、毎日がつまらないですか?」
と、ゼミ生の女子が質問しました。
教授は毎日が楽しい60代の代表だろうね。

「10代のときよりはつまらないですね」

え?どういうこと?

「それは、社会がつまらなくなったからですか?」
「ひとつの理由はそれです。もうひとつの理由は、私自身が歳をとったからです。もう10代の頃のようなバカみたいなことはできませんからね」

そりゃ60過ぎた大学教授が空気銃でカラス撃っちゃダメでしょ。

「でもね。今がつまらないわけではありません。それは、”つまらない” と思っていないからです」

は?
進次郎構文ですか??

ゼミ生たちも、小首をかしげながら失笑しています。
一同をゆっくり見回してから、教授は淡々と述べました。

「楽しい」も「つまらない」も、第三者の視点が入り込む余地のない概念です。つまり、100パーセント主観によって決まります。
「つまらない」と思った瞬間から、すべてがつまらなくなるんです。
10代の若者と 60代の年輩者の差は、主観、すなわち世界を解釈する能力と経験の差です。悲観よりも楽観、ネガティブよりもポジティブに世界を捉えるほうが楽に生きられる、という処世術は、経験を重ねて脳に刷り込まれるものなのです。
年輩者たちの構えを観察してみよう。彼らは、老いの恐怖や虚無感を振り払うことによって、更年期の憂鬱を克服している。
若者たちの声によーく耳を傾けてみよう。彼らは、つまらないと “思うこと” によって、10代のかけがえのない時間をつまらなく過ごしている。

さて。両者の間にいる君たちは、彼らから何を学ぶことができるだろう。
つまらない社会を批判するのはいい。でもね、自分自身の人生をつまらないと思っちゃいけないんですよ。つまらない社会にこそ、個が輝くチャンスもあります。
30年後、今よりもっとつまらない社会が君たちを待っているかもしれない。でも、心配することはありません。つまらない社会を “つまらなくなく” 生きる姿勢を持ち続けてさえいれば、どんな世でも楽しく生きられます。

あたしはなんだかすごく悔しかった。
そんないい話するなよ、って思った。
達観してるかのような境地が妬ましかったし、若者たちの「つまらなさ」を師匠はどこまでわかっているつもりなのか疑問に感じたんです。

心の持ち方ひとつでなんとかなる問題じゃない、とあたしは思う。
10代の若者にオーバー60の知恵はないの。
大切なのは「実存」なんです。社会学者ならわかるでしょ。
若者たちの実存の楽しさを大人たちが奪ってきたんじゃないんですか?
古き良き楽しかった昭和を語るなら、どうして今それがなくなってしまったのか説明してくださいよ。

10代は、50年前なんて知らないんです。
昔は何が許されていて今は何が禁止されたのかも彼らは知らない。
無菌室のような環境で守られ、なんでも与えられ、反抗もせず、自分で何も決められない。そんな世界が彼らの原体験なのです。

大人は気づいているでしょうか。社会が彼らの生きる力を奪っていること。それが「つまらない」の正体なのだと思います。