改革すべきは働き方ではない。こだわりを捨てることだ
日本のホワイトカラーの優れているところとダメなところについて、これまでも何本か書きましたが、直近の経験から思ったことを書かせてください。
私は 28年の会社員人生のうち、日本勤務 8年、日本企業の海外駐在員 8年、スイス企業の expat が 12年というキャリアになります。
現在は、スイス企業の本社で多国籍チームと仕事していますが、日本語が話せるので、日本支社との折衝に便利使いされることもあるわけですよ。
そのこと自体はいいんです。私にしかできないことだし、ネイティブ日本語話者であることは私の最大の強みだと思っていますからね。
ただ、日本支社とのやりとりのなかで、日本人社員の思考パターンみたいなものに脱力することは多いです。
細かすぎるというか、大局観がないというか、こだわるポイントがことごとくズレていると感じます。
例えば、日本マーケットの販売予測と実績を毎月報告してもらうのですが、予測と実績の差異についての説明が解読不可能です。
まず英語力の問題があります。長々と記述された説明文を誰も理解できないので、その解読依頼が私のところにきます。
仕方なく、日本支社の人たちとオンラインミーティングをします。
日本語ですから、言葉は通じます。
しかし、かなりの時間を要します。
なぜでしょう。
彼らが言いたいことと、私が聞きたいことが噛み合っていないからです。
彼らは、販売予測の算出方法を詳細に説明しようとします。
でもね。私はそんなことどうでもいいんですよ。
計算式で出した販売予測なんて所詮理論値みたいなもので、実績が乖離するのは当たり前です。本社はそれを責めているのではなく、たった一言の理由がほしいだけなのです。例えば「販促目標が達成できなかった」でいいの。
つまり、当社の上層部が求めているのは予測の精度などではなく、シンプルな一言コメントなのです。
そこで、どうして目標が達成できなかったんだ?とか、どうしてそんな甘い販売予測を立てたのか?なんて言う人はいないんです。
そのとき、気づきました。
ああ、日本の会社はネチネチと細かいことを追求する体質があるんじゃないかって。だから、日本の会社員は細部にまでこだわって、話が長くなって、労働時間が長くなっているんだ。
なんだろうね。
何が悪いのかな。
私には、日本の会社の古い体質の人たちがガンだとしか思えないんですよね。
パワハラ的な体質はだいぶ改善されたんだと思いますよ。
しかし、完璧を求める空気とか無言の圧力みたいなものが、まだまだ日本の会社にはあるんでしょうね。
そういう瑣末なことにこだわる仕事の仕方は、とっくに賞味期限が切れているのに。
私は悲しいです。
日本の会社員たちが不毛な議論にやたら時間を奪われていることが。
彼らがそれを好きでやっているのならまだいいけれど、そんなわけないですよね。
改善しろだの俺は聞いていないだの言うメンドクサイ輩が上にいて、下の者たちは忖度しまくって通常の 3倍くらいの仕事をさせられているのでしょ?
どうしたらいいんだろう。
古い人間の価値観は変わらないから、いなくなるのを待つしかないのかな。
ご高齢のせいばかりでもないでしょうね。
上の世代でもアップデイトできている人はいます。そんな仕事しなくていいよ、みたいなことが言える人。そういう人についていくべきだと思います。
同様に、若い世代でもアタマの古い人はいるでしょう。
20代の頃に日本的な仕事の仕方を叩き込まれた 30代をイメージしました。
被害者が加害者になるパターン。
高い意識を持って仕事している人ほど、周りの人たちを傷めつけていることに気づかないものです。
ときどき立ち止まって考えてみてほしい。
あなたがむかし教わった仕事の仕方は、今でも有効ですか?
あなたがこだわる一つひとつの事どもは、本当に必要な仕事ですか?
仕事というやつは、こだわりだしたらキリがないんですよ。
それこそ 1日 24時間あっても足りない。
「働き方改革」とか言って、仕事の仕方を変えずに労働時間を短縮せよなど愚の骨頂です。変えるべきはプロセスであり、プロセスを変えるのは個々の社員のこだわり度合いだと思うのです。
細かいことやコントロール不可な事象にこだわると、際限なく時間を消費します。そんなことに付き合わされるの、もうやめませんか?