一票の軽さ
日本では、東京都知事選が終わったばかりで、選挙の話題はもうたくさん、と感じておられる方も多いと思いますが。
東京都民でない私は投票権もないし、そもそも都知事なんて誰がやっても変わらんだろ、と思っているので、候補者や開票結果について語ることはしません。
ただ、投票率に関する巷の声に違和感がありましてね。
「投票率が低すぎる!」とか「投票に行こう!」みたいなアレです。
政治への関心や期待が低いことを問題にされる方もいらっしゃるようですが、投票に行かない理由はそこじゃないと思うのですよ。
投票に行かない人の心理はもっと単純で、コストパフォーマンスが悪すぎるからだと思うんです。
投票することで得られるベネフィットってなんでしょうか?
都知事選びに参加できること?
たった 1票で参加したと言えますか?
投票した人の総数が 700万人とすると、700万分の1ですよ?
0.0000142857パーセントですよ?(小数第11位を四捨五入)
古今東西、1票の差で当落が決まった選挙ってありますか?
(じつはあるのかもしれませんが、それって人口 1000人の村とかでしょ)
自分の投じる 1票は何も変えない、と考えるのが近代的理性に基づく判断というものです。
投票で得られるベネフィットはほかにもある、という見方はあるでしょう。
主権を行使する満足感。当事者気分やお祭りムードを楽しむ。
でも、そういうものを感じない人にとっては、投票で得られるベネフィットは限りなくゼロに近いのです。
一方のコスト。
これはけっこう大きいですよ。
せっかくの休日に、熱中症で死ぬかもしれない危険を冒して、投票所で行列に並ばされ、大切な時間を奪われるのですから。
ちょっとお金に換算できないくらい甚大なコストです。
この費用対効果の極悪さたるや。
いくらコスパ撲滅派の私でも、個々の有権者レベルで考えると、投票というのは極めて非合理的な行動だと言わざるをえないのです。
個人レベルで考えるのがおかしい、とおっしゃる人がいるかもしれません。
たしかに 1人の力は極小だとしても、それらが積もって数万人、数百万人が行動すれば大きな力になるのだ、と。
そのとおりですが、選挙について言えば、それもあやしい気がします。
今回の都知事選に投票しなかった 500万人が、もし全員投票していたらどうなっていたと思われますか?
結果は同じだったと思いますよ。
投票しなかった 500万人のプロファイルを想像してみてください。
無関心。個人主義。コスパ重視の合理的精神。現状を変える気なし。
まず、3分の1から半数近くが現職の人に投票したでしょうね。
面白半分で泡沫候補に投票する人もいたでしょう。
今回 2位・3位だった人に投票する人もそれなりにいたでしょう。
投票用紙に「マック赤坂」と書くロマン派もいたかもしれません。
つまり、大勢に影響なし。
なんなら現職の人がもっと勝っていたかもしれない。
そろそろこう言いたくなってきませんか。
もう選挙とかやめませんか?と。
ほかにいいやり方ないの?ってね。
人々の意識・無意識をビッグデータ化してアルゴリズムで政策を決定する、みたいなわけのわからんことを言う人も出てくるわけです。
マスメディア主導の選挙はバイアスまみれだから、データサイエンスによって純度の高い民意を反映させようってことなのでしょうけど。
メディア(人間)が介入するとロクなことがない。
かといって、テクノロジーに頼るのもなんかイヤ。
だったら、超越的な存在に選んでもらったらどうだろう。
大阪府の知事は、ビリケンさんに決めてもらうとか。
埼玉県の知事は、シラコバトに決めてもらうとかさ。
※筆者註:トップ画像について
ロシアという遠い異国で、多数の反対派にもかかわらず現職が圧勝したそうですが、今回の都知事選とは一切関係ありません。