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日本で感じる違和感の正体
日本に来ています。
帰国時に感じる違和感は、毎回だいたい同じです。
まず、ANA の異常に多い機内アナウンスに殺意を覚えます。
羽田空港に着き、ATM でお金を下ろします。
「お取引しています」
「最初に現金が出てきます」
と、よくしゃべるアレです。
お札を財布に入れている間、
「カードのお取り忘れにご注意ください」
と、かん高い声で 4回言われました。
「うっさいわ!」
と、思わず言うと、5歳の次女が
「パパが一番うるさーい!」
と、私より大きな声で叫びました。
周囲の人々が振り向きます。
香港から日本に来ると、声の大きさ調節に苦労します。
日本人は、公共の場で大きな声を出しませんからね。
そのかわり、ムダにしゃべる機械音声があふれています。
翌日は、妻女らと別れ、一人で新幹線に乗る予定でした。
人混みの品川駅周辺を歩きます。
マスク率 100%・・・
前に帰国したときより増えてないか?
たしかに、この状況で一人だけマスクをしない選択をするのは、相当度胸が要るだろうな。
それにしても、これだけ人が密集していて誰ともぶつからないのはどういうわけだろう。香港ではぶつかりまくるんだが。
日本人は、よけるのがうまいんだな。
香港人(中国人)は、よける気すらないけど。
思えば、私は香港のそんなガサツさが嫌だった。
それに比べて日本人はやはりスマートだ、と感じます。
スマート・・・なのか?
大きな声を出さない。マスクを外せない。人をよける。
要は、他人の目を気にしすぎなのではないか?
新幹線の車内アナウンスも、なかなかの破壊力でした。
「只今、品川を 2分遅れて出発しました。お急ぎのところ、ご迷惑をおかけしてたいへん申し訳ありません」
ここ、ツッコむところでしょうか?
前方で、一人旅と思しき外国人女性が巨大なスーツケースを網棚に乗せようと奮闘していました。小柄な女性で、どう見ても一人では無理そうです。
誰も手伝わないのか・・・
こういうときは、体が勝手に動くものではないのか?
スマート? 他人の目を気にする?
じつは、他人に無関心なだけなのではないか?
現実の新幹線は、機内で観た『ブレット・トレイン』ほどポップではなかった。
しかしあの映画、ダメだったな、と思い出した。
ストーリーは悪くないのに。演出がアカンのか。
「こんな連中、面白いだろ。イカすだろ」という作り手のドヤ顔がミエミエで萎えた。
10代や 20代くらいなら楽しめるのだろうか。大人には無理だ。
通路を乗務員らしき男性が通り過ぎた。
変わった制服だな・・・
背中に「全日警」と書かれている。
え? なんで新幹線に警備員が乗ってるの?
そんなに物騒な乗り物だったっけ?
『ブレット・トレイン』のせいじゃねーだろうな。
外の景色を見ながら、数々の違和感について沈思していました。
美しい景色が広がっています。しかし、この美しい国は、何かがヘンだ。
しゃべりまくる機械音声。黄色い点字ブロックだらけのまち。
目の不自由な人への配慮? 一見、親切なようにも感じます。
しかし、本当に必要なのは、目の不自由な人を見つけたときに誰かが助けることではないのか?
小柄な女性がスーツケースと格闘していたら、Can I help you? と一声かけることではないのか?
「システム」という言葉が浮かびました。
なんでもかんでもシステムによって解決する発想のことです。
点字ブロックという構造物もそれだし、警備員や監視カメラを配置するというのもそれです。
そうして、人は何もせずに安心していていいのでしょうか?
これは好き嫌いの問題かもしれませんが、私はシステムではなく人が助ける社会のほうが好きだな、と思いました。