うまく書ける人は、うまく話せる
先日、とある noterさんとオンラインで飲みながら、「書く」と「話す」は違うスキルなのか?って話になったんですよ。
彼は、書く能力に長けていて書く内容も文章力も優れているのですが、話すのは苦手と自覚しているらしいのです。
同じ言語を使っているのに、うまく書けてうまく話せないのはなぜか?
あるいは、書く言語と話す言語は別物なのでしょうか?
まずは、同じはずだ、という立場をとりました。
同じ日本語なのだから、違うはずがない。
うまく書ける人は、うまく話せるはずだ。
そこに違いがあるとすれば・・・
書くときは考える時間があるが、話すときにはそれがないというところ。
彼は話すときも、考えてから話したり、考えながら話しているそうです。
そうすると、反応が遅くなったり、ああでもないこうでもないとダラダラ話してしまう。
話すのは書くよりもスピードや瞬発力が求められます。
では、話すのは書くよりも高度なスキルなのでしょうか?
おそらく多くの人が「そうではない」と感じていますよね。
話すスキルは高いが、書くのはそれほどでもない、という人もいます。
これはどういうことか。
話している内容を文字に起こすことができたとして、その文字化されたものはあまり褒められない。
じつはたいした内容を話していないってことです。
話すのと書くのとでは、同じ日本語でも求められるものが違うのでしょうか?
話すのはスピードと瞬発力が求められ、書くのはクオリティと深さが求められるように。
そこで、ひろゆきと成田悠輔の話になりました。
ひろゆきは(論破芸という面はさておき)スピードと瞬発力をもっていて、話すスキルが高い。しかし、話す内容のクオリティは低い。深く考えずにしゃべっているか、そもそも考えをもっていないから。
一方、成田悠輔は考えながら話している。ひろゆきほどのスピード感はないものの、クオリティが高くて深い。
と、世間的には思われている気配ですが、私の印象は少し違います。
成田悠輔は、考えながら話しているフリをしていると思うのです。
彼が話していることの 90%以上は、すでに頭の中にあっていつでも瞬時に出せるもので、即興で話していることはごくわずかであると。
なぜそう思うのか。
彼が話す内容は、そのまま文字に起こしても成り立つものだからです。
なんなら、少なくとも一度は書いたことのある内容を話しているんだと思う。
では、なぜ考えながら話しているフリをしているのかというと、そのほうがクオリティと深さが引き立つからでしょう。あるいは、賢く見えるから。
以上を踏まえて、話すスキルを向上させるには、2つのアプローチが考えられます。
✅書くのが苦手な人向け
話す内容は気にせず、ひたすらスピードと瞬発力を鍛える。
✅書くのが得意な人向け
いろんなトピックについてどんどん書く。
⇒ 自分が書いたものを何度も読んで覚える。
⇒ 書いて読んで覚えたことをそのまま話す。
書くのが得意な人は、言語習得能力が高いので、書く脳と話す脳を近づけることによって、両能力を同時に高めることができます。
話すときは、書くように話す。
書くときは、話すように書く。
書くときと話すときで脳を切り換えるのではなく、同じ脳を使うようにする。そのほうが効率的です。
切り換えようとするから話せなくなってしまうのではないでしょうか。
話すテンポを妨げる品詞はたいてい形容詞です。
形容詞を探すときに言葉が詰まりがちになるということです。
ビジネス文書の “国語審議会” においても、議論の的になりやすいのは動詞や名詞よりも形容詞です。個々人の主観やセンスが最もあらわれる品詞だからでしょうね。
書くのが得意な人ほど語彙量が多いので、形容詞のチョイスに時間がかかる傾向があります。
話し始める前に、まず形容詞を決めてしまえばいいと思います。
自分がよく使う形容詞をいくつかもっておくのも有効でしょう。
要するに、うまく書けるけどうまく話せない、と思っている人は、単に準備が不足しているだけなんですよ。話す技術の問題ではなく。
話す内容をもってない人は、話す技術を鍛えればいい。
話す内容をもっている人は、技術など不要で、何度も書いたり読んだりしてきたものを、そのままの言葉で淡々と話せばいいのだと思います。