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広告がなくなる時代に

Amazonの Prime Videoが 2025年から広告を開始する、との記事について、いろんな人の意見を拝見しました。

Amazonプライムとは、月額600円で配送料が無料になったり「お急ぎ便」が使えたりするのが主な特典で、追加の特典としてPrime Videoの一部の動画が無料で観られるというもの。

あくまで配送料無料の部分がメインの魅力であって、Prime Videoはオマケ的位置づけのようですね。
Prime Videoは、Netflixなどに比べて質も量も劣る(らしい)ので、ほとんど利用していないプライム会員も多いそうな。

広告開始に対しては、やはり怒りの声が多いですね。
月額600円は安いとはいえ、有料サービスなのにもかかわらず広告を入れるとか「ふざけるな!」というわけです。
追加料金で広告なしオプションも選べるそうですが、それは事実上の値上げではないか!と。

既存会員は怒って当然だと思います。
もっともっと声を上げて、広告入れるなら辞めてやる!運動を展開してほしいくらいです。

かたや、「競合他社もそうしているから広告はやむを得ない」とか「月額が安いから広告も我慢する」といったミョーに ”ものわかりのよい” 声に違和感を覚えます。
なぜあなたは企業サイド目線なのですか?
あなたは Amazonジャパンの経営戦略部かマーケティング部の社員かなにかですか?
一コンシューマーでしかないあなたが、Amazon社の収益性や競争戦略を気に掛ける必要ありますか?
ビジネスに染まりすぎて、生活者としての視点を忘れているのではありませんか?


そもそも広告ってなんなんだ。
「広告の表示回数を減らすことを目指している」(Amazon)だと?
だったらゼロでいいじゃないか。広告を開始すると言いながら、減らしたいって、いったいどっちなんだよ。

見たくなかったら金を払え?
はあ??
広告って罰か何かなのですか?
自然災害みたいなものですか?
天災のごとく避けられないものだから、せめて被害を最小限に抑えましょうってか?
なるほど、たしかにそのようなものかもしれませんね。

世の中に、広告を見たい人っているんですか?と真顔で訊きたくなります。
お金を払ってでも消したい人がいるくらいですから、ほぼいない、と断言していい気がします。
誰も見たくないものを、なぜ見せようとするんですか?
新手の露出魔ですか?
これ、なにハラですか?
アドハラ? コクハラ? デンパクハラ?


日本で最初に広告を始めたのは、江戸時代の越後屋(三越の前身)だそうです。
しかし、当時のそれは商人による純粋なコミュニケーション活動でした。
これをビジネスモデル化したのがメディアです。
テレビ、ラジオ、雑誌、新聞にまで遡ることができます。

テレビ世代である私は、子供の頃、テレビが無料だと知って衝撃を受けたことを憶えています。
まだビジネスモデルという言葉を知らなかった私は、テレビをただありがたいものだと思っていました。

小学5年生のとき、担任の先生が「テレビはタダじゃないんだよ」と力説しました。
先生は、「値段は高いが、いい~味です」でおなじみのソースの CMを例に挙げ、企業がメディアに払った広告費を商品価格に上乗せしていることを、小学生にもわかる言葉で説明しました。

山本陽子さん。ご冥福を心よりお祈りいたします。

あの時代(昭和)は、テレビCMが国民の共有コンテンツでしたね。
大人から子供まで誰もが知っているフレーズがたくさんありました。
昭和から平成にかけ、テレビCMのクオリティは高度化しました。物語性や芸術性が付加され、CMそれ自体が作品として評価されるまでになりました。

そして 2024年の現在、広告はどのような存在となっているでしょうか。
誰も見たくない。1秒でも消したい。殺意すら覚える。税金みたいなもの。いや、税金より酷い。ハラスメント。嫌がらせ。拷問。詐欺。脱法。
そんなものが持続するとは私は思えません。
必ずや、脱広告の時代がやってくるでしょう。
世界に戦争がなくなるよりも先に、広告がなくなる。
戦争はなくなってほしいけれど、なかなかなくなりません。
広告も同じですか? なくなってほしいけど、なくならない?
いいえ。なくなりますよ。
150年ほどの歴史しかないメディアのビジネスモデルなど、そろそろ終わってもいいころです。


私たちは、情報がタダ同然になったと感じています。
以前はお金と時間を費やして得ていた情報・知識も、今ではインターネット通信料だけで手に入ります。
映画・音楽・漫画などの娯楽コンテンツも、無料かわずかな購読料で観賞できるようになりました。
いい時代になったものだと思います。

その代償として支払わされているのが広告という害悪です。
次の時代は、広告をこの世からなくすとき。
情報の無料化が人類の進歩なら、さらなる進歩は広告の廃絶であるはず。
好きな時間を楽しんでいるときに暴力的に襲ってくるクソ広告を、なぜ我慢する必要があるでしょうか。

私は我慢などしたくないです。
だから敢えて、広告を楽しんでやろうと思います。
Skipせず、✕ボタンもクリックせず、悠々と観賞してやろう。
だって、広告は近い将来なくなるのですから。
「昔は誰も見たくないものを強制的に見せられていたそうよ。恐ろしい時代だったんだね」と人々が笑う時代がやってくるのです。
だったら、今のうちにガッツリ見ておこうか、広告とやらを。