美しい顔って何だろう?
人はなぜ美しい顔に魅かれてしまうのでしょうか。
男(女)は顔じゃない!とか言う人は、何を否定したいのでしょうか。
あなたは自分の顔が好きですか? パートナーの顔が好きですか?
面の皮一枚のことで、心が動いたり、悩んだり、得をしたり、損をしたり、人生が変わる人もいる。それって、おかしいこと? それとも自然なこと?
人の顔についての疑問に答えたいと思い、ちょっと深く考えてみました。
美の基準って何ですか?
ミス・コンテストに反対とか、ルッキズム批判とか、美容整形がどうとか、そういう話を聞くたびに私は、いやちょっと待て、と言いたくなります。
いいとか悪いとか以前に、もっと根源的な疑問があるでしょ、と。
そもそも、人の顔の美しさに基準とかあるの?
誰がどうやって決めるの?
顔の黄金比率とか測っちゃったりするわけ?
パーツごとに評価基準とかあったりするの?
火星人がいるとして、地球にやって来たとして、言葉が通じるとしましょう。あなたは火星人に地球人の顔の美の基準を説明できますか?
そもそも火星人はそんなこと訊かないか。
基準の存在しないものを評価することはできないはずです。
いや、そうでもないか・・・
ピカソが描くような抽象画って評価基準とかなさそうだけど、評価はされていますね。
ある抽象画が気に入ったとき、素人はその良さを説明できるのでしょうか。
たぶん、よくわからないけど好き、みたいな感じなんじゃないかな。
ここまででわかったこと。
◎人の顔の美には基準がない
◎それでも評価の対象にはなり得る
◎人の顔に対する評価は、好き・嫌いしかない
西洋と東洋が出会うとき
私の海外ビジネスキャリア最初の地はロンドンでした。
イギリス人の顔は映画やMTVなどで見慣れていましたが、実物のイギリス人(とくに女性)を目の前にすると、美しいなあ、と感じました。
なぜだろう。
今思えば、日本にはあまりいないタイプの顔だったからとしか言えません。
ロンドンに1年住んだ後、ワルシャワに移住しました。
すでに、西洋人の顔にも珍しさを感じなくなっていました。
それでも、ポーランドの女性を見て、美しい、と感じる自分がいました。
イギリス人の1.5倍くらい美しい、とよくわからないことを思いました。
髪の色や顔の形などポーランド人はイギリス人とはかなり異なるのです。
その後、ドバイに住みました。
UAEローカルの女性はアバヤという黒い全身服で顔まで隠しています。
しかし、湾岸諸国の中でも比較的自由なドバイにはレバノン人、トルコ人、エジプト人などが住んでいます。
西洋でも東洋でもない、中東系です。
そこで初めてレバノン人の女性を見たとき、私は心臓がバクバクしました。
さらにその後、ドイツで大きめのコンファレンスが開催されたときのこと、世界中の拠点事業所からファイナンスの担当者が集まりました。
休憩時間中、ドイツ人同僚(男性陣)が固まって何やら盛り上がっていたので、その輪の中に入ると、興奮気味のひとりが
「グッドタイミング!訊きたいことがあるんだ。彼女はどこの社員だ?」
と、ある方向を見ました。
その方向には、台湾から来ている女性がいました。
私「台湾支社のファイナンスマネジャーだ。たしか名前は・・・」
ドイツ人「ジャパニーズじゃないのか?」
私「似てるけど違う。強いていえば・・・チャイニーズだ(違うけどね)」
ドイツ人「チャイニーズか! なんてキュートな・・・まるでエンジェルだ」
いやいや、オマエたちの同僚のほうがエンジェルっぽいだろ、と思いつつ、ごくフツーの台湾人になんでそんなにはしゃぐのか理解できませんでした。
「ベッピン」という日本語があります。
漢字で書くと、別嬪。この言葉は「別のもの」、つまり普段見ているものとは明らかに違う異形のものみたいな意味からきているんじゃないか。
私が初めて見たポーランド人やレバノン人も、ドイツ人が初めて見た台湾人も、美しいかどうかはさておき、珍しくて怪しい生き物だったのでしょう。
なぜ人は顔に魅かれるのか
前項で導かれた仮説。
人が顔に魅かれる理由のひとつは、珍しさ・怪しさゆえである
私が考えるもうひとつの理由は、もっと本質的なものです。
顔はその人の人となりを表すものだから
人は、初めて会った人の顔をほぼ一瞬で判断していると思います。
直感的に、好きか嫌いかを感じるということです。
いわゆる「好みのタイプ」とかの問題ではありません。
顔からその人の人間性のようなものまで読み取れるからです。
顔のつくりと表情とは不可分です。
表情まで含めた顔の総合評価において、好き嫌いも含めてかなり深いところまでの情報がインプットされるのです。
ニコニコして愛想がいいけど、なんか卑しい笑いだな、とか。
ちょっと怖そうだけど、根はやさしい人なんだろうな、とか。
もちろん、第一印象での顔に基づく評価は、付き合っていくうちに変わることがあります。それでも、顔に対する評価はあまり変わらないと思います。
顔に基づく評価・・・顔だけから判断した、その人全体に対する評価
顔に対する評価・・・顔そのものに対する好き嫌いなどの感情
一目惚れって、ごく自然なことだと思うんですよ。
最初の一目で、その人の全体を評価しているわけですから、その評価がその後も変わらなければ、ほとんどのケースは一目惚れってことになります。
面食いってやつも、ごく自然なことです。
その人の顔が好き、イコールその人の内面まで含めた全体が好きってことだから。
ただ、繰り返し強調したいのは、一目惚れも面食いも、顔のつくりが美しいかどうかではないんです。好きか嫌いかなんです。
そして、好き嫌いは、顔のつくりそのものよりも、顔に表れるその人の内面に対する評価が大きいと思うのです。
ケインズの美人投票理論を知っていますか?
経済学用語なのですが、ケインズが喩えとして使ったのはこんな話です。
「ミス・コンテストの審査員は、自分が最も美しいと思う人ではなく、最も優勝しそうな人に投票する」
要するに、他の審査員たちの平均的な好みを予想して、最も票が集まりそうな無難な美人を選ぶ、ということです。
似たような考えでパートナーを選んでいる人、つまり自分の好みではなく、世間一般の好みを基準にしている人は、虚栄心に取り憑かれた憐れな人だと思います。
あなたが好きになった人たち
顔の美しさには、いかなる評価基準も存在しません。
あなたがある人の顔を美しいと感じるのは、その人の顔や表情に表れている人間性を愛おしいと感じるからです。
今まで好きになった人たちの顔を思い浮かべてみましょう。
あなたは、その人たちの顔が好きだったはずです。
顔立ちはさまざまかもしれませんが、みんな美しい顔をしているでしょう。
それは、あなたがその人たちの人間性を愛していたからです。
あなたが好きになった人の顔は例外なく美しいのです。
「好きな異性のタイプは?」と訊かれて、こう答える人がいますよね。
「好きになった人がタイプです」
これ、うまくかわしているようにも聞こえますが、じつは核心を衝いた答えだと思います。
顔のつくりが美しいから好きになるのではない。
好きになった人の顔は理屈抜きで美しいのです。
とても重要な事実なので、何度でも言います。
人間の顔の美に基準などありえないのです。
美しい人になるために
ここまで読んでくださった方なら、私の言う「美しい人」の意味がおわかりでしょう。
美しい人とは、内面の美しさが顔にも表れている人のことです。
顔の美には基準がないと繰り返し述べましたが、内面の美には基準がありますよね。
内面の美の基準とは、どのような心の構えや振る舞いを美しいと考えるか、端的に言えば価値観、美学、信条などですが、これは人によってじつに多様です。
今更ながら、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』での煉獄杏寿郎のセリフ。
「君と俺とでは価値基準が違う」
これですよ、これ。
私見になりますが、煉獄杏寿郎って顔も格好もヘンだし、見た目だけなら全然美しくないと思うんですよ。
なのに、言葉や行動、つまり内面の美が表れた途端にめちゃめちゃ美しい。
え? 話が逸れてるって?
いいえ、逸れていません。
あんなヘンな眉毛なのに、人としての美しさを見てしまったらもう美しい顔にしか見えないんだっていう話です。
タイトル: 美しい顔って何だろう?
それは、例えば煉獄杏寿郎のことです。(は?)