見出し画像

ジャニーズ問題と日本人の国民性

ゆうです。
先日、あたしが所属してる大学のゼミで、ジャニー喜多川問題を取り上げました。このゼミは、チマタの現象を社会科学的な視点から読み解くもので、いま日本で最も深いジャニーズ論(のフリして日本論)に参加できたと感じています。

この問題について、ウンザリしてる人、モヤモヤしてる人、無関心な人もいるでしょう。いまさら?ってあきれてる人も多いと思う。
そう。「いまさら」なのよね。
たしかに、チマタではウン十年も言われ続けてきたこと。新たな情報なんてない。でも、この問題の本質を掘り下げた言論はなかったと思うの。少なくともマスメディアの世界では。

論点は次の 3つです。
1. この問題から見えてくる、日本人の国民性
2. 今回の状況とウン十年前のそれとで、何が違うのか
3. この流れ(BBC の報道と外国人記者クラブ会見)で、何が変わるか

ジャニー喜多川個人の醜悪な所業への批判は、紙面の無駄だと考えるので、くどくど書きません。(それこそ「いまさら」よね)
それと、この問題を最初に明るみに出した 35年前の著書や、ジャニー喜多川の破廉恥極まりない行為を司法が認定した 20年前の裁判結果などの “正史” を振り返ることもしません。
「知りたい」と思った方は、ウェブサイト上の情報を検索するか、生成 AI に訊いてみてください。


この問題を日本のマスメディアは意図的にスルーしてきた。
✅1988年: 元ジャニーズの切実な訴えが書籍として出版された
✅2003年: 民事裁判でジャニー喜多川の “有罪” が確定した
✅2023年: BBC(英国放送協会)が特集番組でこの問題を報じた

日本のメディアが長年この問題を黙殺してきたのは、ジャニーズ事務所というパワフルな組織から圧力を受けてきた(あるいは忖度していた)から、というのが大方の見方よね。
それはそのとおりでしょう。
でも、問題の本質はそこじゃない、とあたしは思う。

テレビ局やスポンサー企業の上層部らは、その問題を取り上げることによるメリット/デメリット、視聴者の反応、社会的リスク等を総合的に勘案して判断しているはずよ。大きな損失があっても、それを上回る利得があれば、報道を決断したかもしれない。
メディアがこの問題を報じないのは、いいことが一つもないからなの。

考えてもみて。
この問題を徹底的に追及したときに、誰が得をし、誰が損をするのか。
ジャニーズ事務所は言うまでもなく、現役のジャニタレたちが窮地に立たされることになるわ。
彼らを「被害者」だなんて言ってる人もいるけど、そんな単純な構図じゃないよ。「我慢して受け入れるしかなかった」とか言っても、彼らはなんらかのリターンと引き換えに “同意” していた、とも言える。これが犯罪行為なら(現在の法律ではそうなる)彼らは共犯関係になるし、幇助した先輩なんかは加害者にすらなりかねない。

次に、ジャニタレのファンたち。
ファンは泣くわよね。あたしはアイドルとかにあまり興味ないけど、自分の大切な人がそんな目に遭ってたと知ったら、病む自信がある。

そして、その他大勢の一般の人たち。
そんな話、知りたくないし、聞きたくもないでしょ。もっと明るい話題はないのか?ってチャンネル替えるわ。子供にも見せたくない。だから視聴率もとれない。

わかるでしょう?
損する人ばかりで、誰も得をしないの。
だから、ウン十年誰も触れないできた。

さて、そこから見えてくる日本人の国民性ってなんだと思いますか?

価値の不在
と、あたしは思った。
言い換えれば、揺るぎない信念とか、何が正しくて何が間違っているか、という普遍的・絶対的な価値規範がないってことなの。
それが悪いことだと言いたいんじゃないよ。
日本国民の特筆すべき性質だと思った、と言ってるだけ。
むしろ、自文化の価値を押しつけてくる諸外国の圧力こそ悪である、という言い方もできるでしょうね。

価値よりも空気を重視する。臭いものに蓋をする。みんなの気持ちを大切にする。近江商人の「三方よし」なんてのも、そんな国民性と関係あるかもしれない。

繰り返すけど、あたしはその性質を悪いとは思っていない。

ただ、あたしも含め、日本人は自分たちのそういう特殊性を知っておいたほうがいいとは思うの。でないと、他国の人たちと付き合うときに、あまりのわかり合えなさに疲れてしまうよ。


2つめの論点。
この問題は、例の本が出版された 35年前どころか、60年ほど前からあった。そもそも、ジャニーズ事務所とは、ジャニー喜多川が個人的な趣味を満たす目的で設立されたものだから。
つまり、60年もの間、その行為が繰り返されてきたわけだけど、その昔と今とで大きく違うのは、次の 3点でしょう。

①社会のホワイト化
 昔は大目に見られていたことが、今は見過ごされなくなった。
②メディアの多様化
 情報の媒体が新聞・放送局(業界)からネット(個人)に移行。
③問題のグローバル化
 国内だけの問題だったものが、世界が注目する問題になった。

普通に考えれば、シモネタはダメ、不倫はダメみたいな、気持ち悪いくらいホワイト化した今の世の中では、ジャニー喜多川の所業もジャニーズ事務所の体質も許されるはずないよね。

メディアについては、インターネット、SNS、スマートフォン等が普及してある程度変わったけれど、テレビの力は依然として大きい

そして、ペリーやマッカーサーを引くまでもなく、日本を変えるのはいつも外からの強制的な力なのよね。

かたや、変わっていないことは、上述した日本人の国民性でしょう。


以上から、3つめの論点への答えはもうはっきりしてると思うんだ。

ホワイト化ってさ、所詮メディアが洗脳してきたトレンドだと思うのね。
コンシューマ ⇒ スポンサー企業 ⇒ 広告代理店 ⇒ 制作会社
ってな流れがいちおうあるけど、社会の人々の意識を変えてきたのはテレビを主体とするメディアでしょ。
外国特派員協会の記者会見で元ジュニアが赤裸々な告白をしても、その映像を国民の大半が視聴するような大メディアで流さなければ、効果薄なのよ。

つまり、いくら社会がホワイト化しても、メディアの主体(=放送業界)が変わらなければ、何も変わらないってこと。
つくづく、大本営の発表を鵜呑みにしてた大日本帝国民や、ウクライナ戦争支持してるロシア国民と大差ないんだなって思った。

では、BBC が全世界に向けて情報発信したことの効果は?
これによって日本の政治家・メディア・国民が感化・教化されることはないでしょうね。2017年以降の #MeToo 運動が日本にはほとんど波及しなかったことで証明されてる。
啓蒙ではなく、強制力によってしか日本は変わらないってことよ。


あたしはね、ジャニー喜多川にも、事務所の共犯者らにも、日本の芸能界やメディア界にも、反吐が出る思いですよ。でもね、そんなこと言ったって何も変わらないじゃない。だから、できるだけ中立の立場で、社会科学の研究対象として、この問題から日本人の国民性を理解したいと思ったんだ。
ゼミの先生のアプローチもそうだと感じました。

BBC の調査報道も、元ジュニアの記者会見も、日本の現状を変えることはないでしょう。
ただ、一部の心ある人たちがこの国への絶望感を増した出来事として、歴史に刻まれると思っています。

今回のゆうの学びなおしは以上・・・です。

あたし泣いてなんかいないかんね!