「やっぱり外国住んでたら差別されることとかあるの?」
僕は2年前からドイツに住んでいる。
たまに日本に帰って、久しぶりに日本人の友人と会うと、「やっぱりヨーロッパに住んでたら人種差別に遭うこととかある?」と聞かれる。
というか、自分もアメリカに行っていた友人に対して同じような質問をしたことがある。
「やっぱりアメリカやと人種差別とかあるん?」
この質問に対する答えは「わからない」だ。
まずそもそも自分はハーフで、他のアジア人に比べると、外見からアジア人と断定することが比較的難しいだろうなと思っているから、ヨーロッパの中にいて、アジア人としての自意識が希薄であるのかもしれない。
それに、自分が対人関係で嫌な思いをしても、相手が自分を差別しているからそのような行動をとったのか、それとも差別は関係なくそうしたのか、こちらとしては判断しようがない。だから、わからない。
ただし、明らかに人種や外見を揶揄するような差別的行動を向けられたことはまだない。("吊り目ポーズ"とか)
しかし、「自分が人種差別をする側にまわっているな」と思うことがたまにあり、ゾッとする。
先ほどコインランドリーに出かけた時にまさにそういうことがあり、自分に対してゾッとした勢いでこの文章を書いている。
コインランドリーを出て家に向かって歩いていると、後ろから男が「すみません」と呼ぶ声が聞こえた。まず僕はこの時点で振り返ることもせず、一度聞こえないふりをした。「すみません」ともう一度呼ばれて、やっと振り返った。アラビア人っぽい感じの男性がいかにも困ったというような顔で立っていて、僕は「やっぱりな」と思った。彼は拙いドイツ語で2ユーロが足りず何かしらに困っているということを伝えてきた。僕の財布の中には5ユーロと68セント入っていたが、「僕は今現金を持っていないんだ」と伝えて、すぐにそっぽを向き家に帰った。
多くの方は、僕のとったこの行動に対して「なんと冷たい態度だ」と驚き、非難を向けるだろう。確かに冷たいと思うし、非難されても仕方ない行動だと思う。だが、しかし、ヨーロッパに住んでいると、この行動は極めて普通のことなのだ。自分を正当化するように聞こえてしまうかもしれないが、本当にこれが普通なのだ。というか、そうでもないと自分が騙されてしまったり、被害者になってしまう。
だから、今日の僕のこの行動自体は、いつもの行動と比較しても特別なことではなかった。
しかし、僕はふと帰路の上で「今のやつ、自分が向こうの立場やったらめっちゃショックやろな」と思った。続けて、先ほどのアラビア人が日本人だったらどうだろうと想像してみた。韓国人や中国人だったらどうだろうか。ドイツ人だったらどうだろうか。まあ、相手の風体によって変わるだろうが(それも容姿で差別しているのだろうか?)、おそらく日本人、韓国人、中国人、ドイツ人が相手だったら違った行動をとっていたと思う。「すみません」と声をかけられたらすぐに振り返っていたらだろうし、2ユーロもあげただろう。
というか、日本人や韓国人相手だったら声をかけられなくても、困っている様子を見たら自分から声をかけに行っていたと思う。(実際に過去に何度かそういうことがあった。)
僕は相手が小汚い格好をしたアラビア人だったから無視した。そのことにふと気づいた。相手のアラビア人は「アジア人に差別的な態度を取られた」と強く心に刻まれたかもしれない。
たまに日本に帰って、久しぶりに日本人の友人と会うと、「やっぱりヨーロッパに住んでたら人種差別に遭うこととかある?」と聞かれる。
しかし、「ヨーロッパに住んでたら人種差別しちゃうこととかある?」と聞かれたことは一度もない。当たり前と言えば当たり前のことだと思う。
僕は「日本人は被害者意識は強いが自分達が加害者であることに気づいていない」と指摘したいわけではない。そうではなく、自分を含めた人間一般がそうなんだろうなと思う。
今日の自分の行動は、人種差別の意識から生まれた行動ではなく、確かに自分を守るための習慣から生まれたものだったと思う。それを「人種差別」という強い言葉と結びつけてセンセーショナルにリベラリズムを気取っている僕に対して違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、人種差別ってもしかしたらそういうものなのかもしれないなと思った。そして、そうだとしたら人種差別をしないことって、今まで思っていたより難しいことなのかもしれないなと思った。