東征と女王国

大和の地を目指した東征のために、それまで住んでいた南九州を出発した磐余彦尊(いわれびこのみこと)は、兄達と自身の軍団を率いて瀬戸内海を通って吉備から河内に進撃するも敵軍に阻まれ、このまま進むのは不利と判断した磐余彦尊は紀伊半島を迂回して熊野から北進し、大和を南から攻めることによって地元の軍事勢力を敗退させ、大和を磐余彦尊の一族が統治する国と定め、橿原の地で初代天皇として即位し、神武天皇と後世から諡号された。

初代天皇である神武天皇の東征物語を短く書きましたが、古事記・日本書紀の記述にしたがうと神武天皇の即位はBC,660年になり、この時期に日本で対立した大規模な軍事勢力による戦闘や、統治機能を持った王権による建国という出来事があったとは考えられず、神武天皇の存在や事績が伝説、空想とされても仕方ないです。

では、神武天皇の東征が成功した後の即位がBC.660年だとせず、もっと何百年も後の出来事だったと仮定したらどうでしょう。

八木荘司著『古代天皇はなぜ殺されたのか』は序章、6章、終章からなり、1章で日本と中国の歴史書を参考にして、天皇の在位年数を現実的と思われる数字に試算し直し、出来事がいつ起きたかに使われる干支の年度は信頼できるとして、神武天皇が橿原で即位した年を中国の歴史書で倭国で国が乱立していたと記述されたころの辛酉にあたる年だと、八木氏は推定してます。

『古代天皇はなぜ殺されたのか』を読んで、本書で推定された年に神武天皇の東征があったとは確信できませんが、あの年なら王と一族によって率いられた軍団が南九州から大和へ移動し、幾多の戦闘の後に大和で小さいながらも国を建てることは可能だろうと思いました。

『古代天皇はなぜ殺されたのか』は資料の不足や年代の不正確さから存在を否定された古代天皇について、日本、中国、朝鮮の古代文献を八木氏が読み込み、そこから八木氏の解釈を語って、欠史とされる古代天皇が実在した可能性の高さに言及した本です。

本書で示された意見にすべて賛成するわけではありませんが、同意できた箇所もたくさんあり、序章、6章、終章と読んでいて面白かったです。

本書では1章、2章での古代文献を読み込んでの推定にはっとさせられました。

1章では神武天皇の東征について語り、2章では大和と邪馬台国について語られます。

私は邪馬台国は九州にあったという可能性のほうが高いと思ってますが、八木氏は九州説を否定してます。邪馬台国畿内説の場である纏向遺跡や箸墓古墳のある奈良県桜井市付近でもないとしてます。

邪馬台国があったと八木氏が提示した場所は、これまで見た推定地とは違う場所ですが、『古代天皇はなぜ殺されたのか』を読んでると、この場所に邪馬台国があった可能性は否定できないと思いました。

そして大和と邪馬台国をつなぐ人物として、本書に鬱色謎(うつしこめ)という女性が登場します。鬱色謎という名前は本書を読んで知りましたが、怪しげなインパクトのある名前ですね。八木氏は鬱色謎を女王国であった邪馬台国のあの人物ではないかと推定してます。

この推定も当たってるかもしれないと感じます。

古代日本については大昔のことのために不明な点が多いので、『古代天皇はなぜ殺されたのか』で述べられたことはどこまで当たってるのか、今後の古代日本についての何らかの発見によって解明が進むのが楽しみです。

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