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むきだしのYUIとスガシカオ

少し前に、友人から「歌の専門学校って毎日どんなことをするの?」と質問された。わたしが学校に在籍していたのはもう10年も前のことで、記憶もだいぶん曖昧になっているのだけれど「音楽理論について座学したり、アカペラのコーラス練習をしたり、マンツーマンでレッスン受けたりとかかなぁ」と答えた。

「ふつうの学校みたいに授業があるんだね」
「そうだね、ふつうに学校だよ」

というような会話をしてから、改めて学校で過ごした時間、特に授業以外の時間の使い方についてなんとなく思い返したみた。


当時わたしは学校で知り合った"D"という男とデュオボーカルのユニットを組んでいて、授業が終わると毎日何時間も学校に残って歌の練習をしていた。

オリジナルの楽曲を作り(Dが作曲編曲・わたしが作詞を担当した)ひたすら歌の練習をする。
DはCHEMISTRYの大ファンで、デュオボーカルでハモることに強い憧れがあったので、我々の楽曲には必ずやや複雑なハモリのラインが設定されていた。

『とにかく綺麗にハモるゾ』というのが我々の唯一のコンセプトだった。音の振動でグラスが割れたり窓が揺れたりするような、完璧なハモリを目指していた。CHEMISTRYよりも上手にハモるゾ、そこが最低ラインだゾ、と意気込んでいた。


さて、我々(ユニット名は伏せるが、仮に"P"としておく)のハモリを含めた歌唱の実力がどうだったのかと言うと、正直とても微妙だった。
まぁ、下手ではなかった。同じ学校の男子たちの中ではPがいちばんしっかり歌えていたと思う。でも女子たちも混ぜたら、先輩達と比べたら、いつもレッスンしてくれている先生と比べたら、と比較対象を広げて考えていくとだんだん怪しくなってくる。

ライブでお客さんに「ハモリがきれいですね」と言われたことはある。もちろんだ、そう言われるために毎日何時間も練習したんだもん。しかし、同級生からも先生からも「ハモリがきれい」と言われたことはPが解散になるまでただの一度もなかった。

つまり、音楽の知識がある程度あってピッチ(音程)をちゃんと理解している人にはPのハモリは全く通用しなかった。あんなに練習したのに!クソが!

クソが!とは思うものの(思ってないけど)、上記の「音楽の知識がある程度あってピッチ(音程)をちゃんと理解している人」には我々Pも当然含まれているわけで、練習中に録音した音源を聴くたびに2人ともげんなりした気持ちになった。

それぞれがソロで歌うパートではほとんど気にならないのだが、Dには音がフラット(低くなること)しがち、わたしはシャープ(高くなること)しがちという弱点を抱えていた。ハモリにおいては少しの音程のズレが致命的で、不協和音になってしまう。

もしかしたら我々は一緒に練習しすぎたのかもしれない。お互いのわずかにズレた音程を聴きすぎたせいで、正しい音程を見失ってしまっていた。やればやるほどにズレていくのだ。
数時間練習した後にピアノで正しい音を確認してみたら全然違っていて「マジかよ違うじゃん」と笑ってからふたりで深い溜息をついた。

こんなことを言うと"やめちまえ"と言われるかもしれないが、Pを結成してから解散するまでの約3年間でハモリが完璧に成功したのは練習・本番合わせても体感3回くらいしかなかった。ハモることが唯一のコンセプトで、CHEMISTRYよりも綺麗にハモることをスタートラインにしていたのに、だ。
いくら練習してもスタートラインにすら立てない。

これを笑い話にするには当時の我々にとってはあまりにも時間を投資しすぎていた。

ハモリを重要視し過ぎるがあまり、わたしの歌い方はどんどん淡白になっていった。ビブラートの数を減らし、抑揚を減らして、とにかくハモりやすいようにと工夫していた。今になって思うと、歌としての魅力が死んでいた。まるで機械のような歌だった。これなら初音ミクに歌ってもらったほうがよかった。


あんなに練習したのに、Pはハモリでもそれ以外の部分でもCHEMISTRYに勝てなかったし、もちろんゆずにもKinKi Kidsにもチャゲ&飛鳥にも勝てなかった。

それどころか、授業で適当に組まされたクラスメイトとのほうが簡単に上手くハモれた。「今めっちゃハモったね?」と言って喜んだけど、なんでやねん、という気持ちのほうが強かった。Dも同じように他の人とはハモれていた。得意げに正しい音をピアノで指導したりしていた。えらそうだな、と思った。

我々の努力は無駄だったのかもしれない。あるいは、努力のやり方を間違えていたのかもしれない。
結局、Pのハモリはグラスも窓も割らず、誰かの心を揺らすこともなかった。

Pを解散してからの数年間は誰の歌も聴かなかった。
インストゥメンタルばかり聴いていた。haruka nakamuraや高木正勝やnunuの音楽に興味を持ち、アンビエントの美しさに心を惹かれた。もう歌はいいや、対ありでした、という気持ちだった。

わたしは学校を出てからフルタイムの仕事についたが、どの職場でも1年から1年半ほど経つと精神的にしんどくなって休みがちになり転職する、という負のパターンを繰り返していた。

社会不安障害(SAD)の傾向が年々強くなっていき、心療内科で処方される薬が強くなり、パニック障害の発作が出ないように電車通勤を諦めて2時間半かけて徒歩で通勤していた時期もあった。

不眠症がひどくなり、睡眠導入剤も眠剤も思ったように効かず、仕事のある平日はほぼ眠れなかった。3時まではラジオを聴いて、それからは瞼の裏や天井を眺めて朝がくるのを待った。

職場では周囲の目が異常に気になり、キーボードを操作する指がガタガタと震えた。会議中に視線をどこに置けばいいのか分からず、常に目が泳ぐようになった。エレベーターのような密集した場所では自分の心臓の鼓動がとにかくうるさくて、周りに音が聞こえているのではないかと不安だった。

当然そんな挙動不審な人間がまわりとうまくやれるはずもなく、どこにも居場所を見つけられなかった。


そんな日々を8年ほど過ごして、ふと限界だなぁと思った。心も身体も疲れ切ってしまって、もうがんばることができなかった。お金もなかったし、長く付き合った恋人とは別れて数年が経っていた。

わたしはGoogleで自殺するための崖を探した。高校生の頃に観たドラマの主人公が、第一話で自殺未遂した崖がとても美しく印象に残っていたので、死ぬならそこが良いと決めていた。MJみたいに両手を大きく広げて、人知れず消えたかった。

崖の住所をスクショして、これでいつでも逝けると思いながら過ごしていたある日、わたしは唐突にスガシカオの「夜空ノムコウ」が聴きたくなった。

学生時代からスガシカオが好きで、勝手に歌詞の先生として崇めていた。スガシカオは歌詞でおべんちゃらを言わない。嘘をつかない。汚い心の内を隠さない。歌詞で前向きなことばかり叫ばせようとするJ-POPが苦手だったわたしにとってスガシカオの暗い路地裏的な世界観は救いだった。

歌入りの音楽はもう何年もちゃんと聴いていなかったけど、きっとDとバカみたいにハモリの練習していた"あのころの未来が今なんだろう"と思ったのだ。

あのころの未来にぼくらは立っているのかなぁ
すべてが思うほど上手くはいかないみたいだ

歌詞を頭の中で何度も復唱しながらわたしはYouTubeでオフィスオーガスタ(スガシカオがかつて所属していた事務所)のチャンネルに行き、夜空ノムコウを探した。しかしOfficialで出している動画には夜空ノムコウがなかったので、テレビでスガシカオが歌ってる動画でもいいや、と思い(本当はダメ)『夜空ノムコウ スガシカオ』と検索した。

検索結果がいくつか出てきて、その中にフジテレビの音楽番組でYUIとふたりで夜空ノムコウを歌っている動画があった。その番組のナレーションをしていたのがさきほど言った高校生のころ観たドラマの主役をしていた役者さんだったので、なんとなく運命めいたものを感じてその動画をクリックした。
(本当はダメ。STOP無断転載。観るのもダメ)

数年ぶりの歌入りの音楽。数年ぶりの夜空ノムコウ。

ギターを抱えて、ほど近い距離で向かい合うスガシカオとYUI。ふたりのアコースティックギターと、ピアノとストリングスが奏でるイントロのあと

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ

と最初のサビがはじまる。スガシカオがメロディを歌ってYUIがハモる。その瞬間にDとの練習の日々が走馬灯のように蘇ってきた。呼吸を合わせるためにお互いの顔を見ながら何時間も同じメロディを歌った日々。

YUIのハモリはなかなか上手だった。音程は正確だし、語尾の処理もいい。さすがだなぁ、と謎の上から目線で見ながらYUIが上ハモをしているところに下ハモで被せて勝手に3人で歌った。音が頭蓋骨の内側で反響して耳の奥がぶるぶると震えるのを感じた。

Aメロはスガシカオが歌う。
ずっと好きだった歌声も、どこか所在なさげな雰囲気もかつてのままだった。わたしはスガシカオのその雰囲気がとても好きだ。サングラスで目が隠れていて表情が掴みにくいからそう感じるだけかもしれないけど、スガシカオは歌っているときいつも少しだけ居心地悪そうに見えて、それがセクシーなのだ。
タモリさんのことも同じ理由で好きだ。
"ほんとはこんなところに居るはずじゃないのに"というあの感じ。

誰かの声に気づき ぼくらは身をひそめた
公園のフェンス越しに 夜の風が吹いた

Bメロになり再びYUIがハモリで参加する。カメラにYUIの顔がアップで映る。発するメロディによって様々なカタチに柔らかく動く唇から、くっきりとした瞳にパンしていく。わたしは画面に釘付けになった。

YUIはスガシカオのサングラスの奥の眼(まなこ)をじっと見つめて離さなかった。これからスガシカオを殺すのだろうか?と思うくらいの迫力と説得力があった。瞬きをしても、わずかに顔を傾けても、歌が途切れるまでYUIはスガシカオを見つめ続けていた。

スガシカオもYUIを見ていた。たまに視線を落としたりもしていたけれど、ほとんどの時間ふたりは見つめ合いながら歌っていた。そういう演出だということはもちろん理解していたけれど、妙に心にきた。

1サビ終わりの間奏でkeyがYUI用に切り替わり、2番のAメロからサビはYUIが歌ってスガシカオはハモリにまわった。ふたりの歌う「夜空ノムコウ」は音楽としてもちろん素晴らしかったのだけど、わたしにはふたりが音に溺れてセックスしているようにも見えた。

本音を晒すことをどこかで恐れる男(スガシカオ)と剥き出しでぶつかる女(YUI)が音楽というベッドでセックスをしている。
あまりにも美しくて、あまりにも刺激的だった。

『音楽ってのはセックスなんだよ』とかつて学校の先生が(すけべ顔で)言っていたことの意味をその時になってはじめて理解した。
"余計な力を抜いてリラックスして演奏しましょう"くらいの意味だと思っていたのに、全く違っていた。セックスというのは、つまりセックスだった。

わたしは動画を観ているのが恥ずかしくなってきた。他人のセックスを覗き見しているような感覚だった。もし、ふたりの歌う夜空ノムコウを、Dと練習していたあの頃に観れていたらどうなっていただろうか。
今とは違う未来にぼくらは立っていただろうか。

わたしは気づくとぼたぼたと涙を溢していた。

わたしは泣きながら動画を観て、それから数年経った今日、この文章を書いている。

"嫌いになったと思っていた歌から生きる希望を貰った"とか、"死のうと思ったのは過ちだった"とか、そういうことを言いたいわけではない。崖の住所のスクショは今もスマホにしっかり保存してある。

でも、事実としてわたしは今生きてしまっている。
ただそれだけのこと。

自殺をした人に対して「自殺しなくてよかったのに」とはわたしはどうしても言えない。大切な人にはもちろん死んでほしくないし、死にたいと言われたら全力で止めるけど、人生最期の選択が間違えていたなんて、本人以外の誰が決められるだろうか。

それがどんな衝動であれ、永く続いた苦悩であれ。


あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ
すべてが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ
雲のない星空が マドのむこうにつづいてる
あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ
夜空のむこうには もう明日が待っている

歌が全て終わってアウトロがかかると、YUIは少し照れたような表情を浮かべた。ものすごくかわいい。スガシカオはサングラス越しにその様子を見ている。



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