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楽曲エッセイ#4 メルティランドナイトメア/はるまきごはん

自分はイマジナリーフレンドだとかのその類の話が好きで、どんなことを書こうかと考えている時にも、この曲だけでなく、いよわさんの「パジャミィ」とか凋叶棕さんの「ハロー、マイフレンド」なとなど、いくつかと思いを巡らせる曲があって、それらの曲はそのアーティストの中でも特別に好きな曲だ。
忘れられていく大切なものに対する郷愁のようなものが自分は大好きなのだ。
それとともに、自分とイマジナリーフレンドとを重ね合わせることがある。昔はすっかりと忘れる側の目線でしか物語を見るこが出来ていなくて、自分が"忘れられる側"になるという考えに思いを巡らせることは無かった。実際に自分が幻影だと自覚される、或いは忘れ去られて、霧のように現実の世界から消えていく ということはなくて、そこに重ね合わせると思い至ることも難しいとは思うし、そこに至らないのは純粋で幸せだったからだとも思う。
誰かの幸せを垣間見た時に、そこに自分がいないこと、いや、いるべき存在が自分でないことに孤独を感じることがあって、これは、このネット社会に新しくありふれてきた絶望だろう。
私は自分のことを特別不幸だとも思わない。思わないように気をつけるようにしている。人間は自分のことを必要以上に特別視したがるし、それでいて他人のことを一瞥して"一般的"の枠に当てはめる。自分のことを決して特別だなんて思わないようにする それくらいで多分ちょうどよく人と渡り合えるのだと思う。

不幸ではないが、他人の幸せに置いていかれているような焦りが年々と募っていく。
でもそれは、"置いていかれる"だなんて受け身的で被害者の顔をしている場合でも無くなって、単に現状に留まることを選んだ自分がいるだけだった。

一概に 幸せ という言葉を用いることに抵抗はあるけれど、晴れやかな後ろ姿を見送ったあとに、連絡を取り合わなくなった人が何人かいて、その人のことを思い出した時に、自分はその人にとってイマジナリーフレンド的存在だったのでは無いのかと思う。そして酷く傷ついた面持ちで帰ってきて、久々に連絡を取り合うことも何度かあった。

多分、自分はその枠組みに位置することが多いんだと思う。楽しい記憶と共にある人間ではなくて、悲しい記憶と共にある人間。
そんな発見が何度かあったからこそ、消えていくイマジナリーフレンド側に感情移入することが出来るようになったんだろうか。

"不幸のフリをして幸せになることから逃げている"そのような言葉もネットを眺めていれば、毎日のように目にする。別に、それでもいい。
幸福は義務でもないので。
それ以上に大切な人の不幸に盲目になることの方が自分にとっては不幸なのだ。
ヨルシカの「忘れてください」のエッセイでも似たようなことを書いた気がする、まだ4回目なのに内容が被ってる。

誰かの幸福を願う時、その隣に居るのは必ずしも自分でなくたっていい、自己犠牲でどうにかなるものがあればどうにかする。
どの段階でそのような道徳の洗脳が入ってきたのかは分からない。宮沢賢治を読んでいた影響だろうとは踏んでいるけれども、気がついたところで抜ける槍でもないのだ。

悲観的に書いているけれども、今では、この有様の自分を誇らしく思っている。
"助けが必要な人は、助けが必要そうな風貌をしていない"という言葉も最近目にするようになって、だったらどうすればいいんだと思って。
どうともならないんだろうと思って。
結局はその人自身なんだからって。
けれども、自分が誰かにとっての 助けが必要な時に思い出す人 であれたら、それはもう自分にとっての幸福であることは確かだ。

人生が順調な時には、周りに人が集まる。それは残酷なほどの対称性を持っている。
深い悲しみに暮れる時、多くのものを失った時、きっと孤独で、手を差し伸べる人なんていない。

誰かにとってのイマジナリーフレンドでありたい。幸せな時にそばにいる人じゃなくて、孤独な時、苦しい時にそばにいる人でありたい。
それは幸福を手にした時に霧散していく存在であることを意味していたとしても
悲しみとともに私がそこにあれば
それは私の幸福です。


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