【ニュース! オモコロウォッチ】ぜいぜいと尊敬【個人的ベスト回】

こんにちは、まごっとです。

何回かたびたび紹介しているオモコロチャンネル。
そのオモコロのメンバーがやっているYouTubeラジオ、ニュース! オモコロウォッチというのがあります。
毎週選んだニュース1つをオモコロの永田さん原宿さん恐山さんの3名が語るというものなのですが
何回も聴いてしまう、個人的なベスト回があります。
それが、こちら

こちらについて、私のアドラー心理学の知見を交えながら語りたいと思います。

1.「食べる」という行為と文化

この回は「バスの運転手が休憩中に食事をしていて乗客からクレームが来た」というニュースについてなのですが
まず、そもそも「食べる」という行為について。
各文化によって、NGとされる行為、そしてその基準は変わります。
この文化というのは、国レベルではなく、地域、なんなら家族、さらには個人レベルで存在します。
例えば、韓国では器を持って食べることはNGですが
逆に日本では器を持って食べないことがNGとされがちです。
また、関西圏と関東圏で「アホ」という言葉のニュアンスも変わりますし、これも文化です。
さらには、家庭ごとにNGルールなどが存在していることは多々あり
文化というものを大きな範囲で一括で括ることは難しいです。
そして、話は戻り、「食べる」という行為。
これは時代などによって文化ごとにどう捉えるかはどうしても変わります。
ある説では、大昔日本でも食べるという行為を隠す場合があり、これは感染対策から経験的に導き出されたものではないか、と言われています。
そのため、「食べる」という行為を見せることがある文化ではNGということはどうしてもあります。

2.それはみんなにとってどうなのか?

さて、このように文化は個人レベルで異なります。
これは生き方や考え方、思想の違い、とも言えるでしょう。
そこでどうすればいいのか?
アドラー心理学では、まず「それはみんなにとってどういうことになるのか?」と考えるのが良い、とされています。
例えば、食べるという行為について。
「私は」見るのが嫌。
「バス運転手は」お腹が減って何かを食べたい。
食べるの禁止したらどうなるだろう?
バス運転手の集中力が切れて、バスの運転に支障が出るかもしれない。
事故ったらもっと多くの人に悪影響が出る。
そもそも、食べることが何か危険な可能性があるか?感染リスクなどあるか?
現在の日本社会の衛生状況においてそのようなリスクは考えづらい。
というように、「私」「相手」「他のみんな」というように、みんなにとって利益になるような方向性で考えるのが良いとされています。
「私」に閉じた思考は、アドラー心理学において「自己執着」と呼ばれて、推奨されていないものです。

3.言う?言わない?そしてどうする?

さて、このように「みんな」の視点に立ち、しかし「私」の最初の意見が異なったとき、どうすればいいでしょうか?
それをとりあえず伝えたほうがいいでしょうか?伝えなくていいでしょうか?
ここで大事なのは、伝えるなら「どうして欲しいか?」を肯定文で明確にして伝えることです。
例えば「私は、食べる行為を見て嫌な気持ちになりました。」ということを伝えたとします。
そしたらバス運転手とバス会社は「そうですか・・・え?そしてどうすればいいの?」となってしまいます。
明確に「私は、食べる行為を見て嫌な気持ちになりました。しかし、よく考えればこれは私個人の感覚ですし、食べるのを禁止する必要はないと思います。ただ伝えたかっただけです。気に留めずに流してください。」と伝えれば、バス運転手も対応がしやすいですし、まだすんなりこの言葉を受け入れられるでしょう。
このように、誤解なく、いわば一意のメッセージを伝えるのが大事です。
もしも一意のメッセージを伝えて、私と相手の意見が異なったときは、「みんなの視点に立つ」という大原則を守りつつ、さらに会話を重ねる必要があります。

4.ぜいぜい、そして尊敬

そしてニュース! オモコロウォッチでは、原宿さんの娘さんの問題文に対する意見でバズった話になります。
また、その意見に対してさらにいろいろな意見がSNS上で出てきます。
中には否定的な意見もありました。
その意見の背後に、原宿さんは「みんな現実と戦ってきてぜいぜいなのだ」ということを指摘します。
これが、とてつもなく良いなと思いました。
アドラー心理学において「尊敬」というものがあります。
一般的な尊敬の意味合いとは違って、アドラー心理学においては「自分の目の前の人が、その人なりにベストな生き方を選んで、そしてその生き方をしてきているのだ、と認めること」とされています。

例えば、バス運転手の食事に文句を言った人も、原宿さんのポストに文句を言った人も、犯罪者でも、その行為は常にその人にとってベストな選択肢だったのです。
しかし、あるときは、それがみんなにとっては良くない結果をもたらしたこともあるかもしれない。
しかし、その人がさらに良い方法を知らなかっただけなのです。
その人なりにぜいぜいでベストな選択肢を取ったことは間違いありません。
そして、原宿さんは「対立しても手を取って、会話をしたほうが良い。どっちもぜいぜいできつかったんだ」と述べます。
これは、尊敬を元にした協力である、と言えるでしょう。

協力とは、アドラー心理学における重要な考え方であり、目の前の人と共通の目標、つまりみんなの幸せに向かって一緒に動くことです。
そのためにはまずは、自分が協力の心構えで相手に向かうことが大事です。
ここにおいて、尊敬の気持ちはもちろん必須です。
原宿さんがこの回で提唱したことは、アドラー心理学において一番と言って良いほど大事なことで、アドラー心理学の言葉とはまた違った巧みな言葉で表現したものだと思い
何回も聴いてしまう個人的ベスト回でした。



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