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映画録 腹腹時計
渡邊文樹という映画監督がいる。もしかしたら、街角で見た人がいるかもしれない。ある日突然、町中の電柱や壁に、おどろおどろしい映画のポスターが貼られている光景。「見たら吐く!」「失神する!」という過激な謳い文句。
渡邊文樹監督の映画は、ゲリラ的な上映会が特徴だ。映画の題材そのものが刺激的なため、右翼の襲撃を受けることもある。警察も監視する。上映会に行くだけで命懸けだ。また、それこそ監督の狙いかもしれない。
渡邊文樹監督作品はどれも刺激的だか、ひときわタブーに切り込んだ作品が「腹腹時計」である。
腹腹時計とは、東アジア反日武装戦線「狼」が発行した、「ゲリラ兵士読本」である。つまりテロの指南書である。最近ではイスラム国がネットマガジンを発行して爆弾の作り方などを公開しているが、その40年も前に日本の過激派が潜在する同調者を発掘し、教育しようとしたのが「腹腹時計」である。もっとも、現在見ることが出来るのは反日革命思想の根拠とゲリラ兵士の一般的心得を記した「理論編」である。爆弾の作り方など具体的なことは「技術編」に記されており、そちらは現在は入手が非常に困難である。当時は左翼系書店で手に入ったらしいが、その後の東アジア反日武装戦線の逮捕を経て、警察に押収されたり、強制捜査の手が伸びることをおそれて処分されたりしたのだろう。この技術編の内容は実は正確ではないらしく、その通りに爆弾を作ると暴発するという噂もあるから、手に入れたとしても真似するのはやめた方がいい。
内容の正確性はともかく、日本でテロの指南書と言うと腹腹時計が代名詞になっている。この特徴あるタイトルは、カモフラージュというよりは遊び心で付けたものだろう。なぜなら副題に「ゲリラ兵士読本」と堂々と付いているので、ほとんどカモフラージュの意味は成していないからだ。左翼組織のテキストは、このようなカモフラージュ又は詩的なタイトルが付くことが多く(日本共産党が武装闘争を採用していたときの「球根栽培法」、連合赤軍の前身のひとつ革命左派の「登山の手引き」、外国左翼組織の「薔薇の詩」など)それに倣ったのだろう。「腹腹」は爆弾の解説なのでハラハラドキドキのハラハラと、東アジア人民との連帯という意味を込め朝鮮語文法のハラ体を、時計は時限装置のこと。
腹腹時計の技術編らしい書物は、映画の「バトルロワイヤル」に登場する。中学生たちが爆薬を製造しよあとするシーンである。深作監督周辺に持っている人がいたのかもしれない。現実世界の日本では腹腹時計に解説されているクサトールという除草剤(塩素酸塩)は、他ならぬ東アジア反日武装戦線の事件の影響により姿を消し、現在もあるクロレートSという除草剤も爆薬に転用できないよう難燃加工が施されているし、購入には身分証明が要る。また肥料の硝酸アンモニウムは、雨の多い日本ではあまり使われていない。従ってその辺で簡単に爆薬の原料が手に入る、ということは実際の日本ではない。
そのような物騒な内容を含む腹腹時計を、そのままタイトルにした映画がある。それが、渡邊文樹監督作品「腹腹時計」だ。1999年作品。
渡邊文樹監督の映画は上映会が前提で、また自主制作に近いものなので、DVD化はされていても、入手が難しい。筆者は運良く手に入れることが出来た。
以下、作品内容への言及も含んだ感想。
あらすじはこうだ。
元は最年少の日本共産党員、反日共に転じてからも過激な行動で前科多数の革命家、渡邊文樹(監督自身が出演)は、韓国にある反体制派アジトを訪れる。東アジアの反体制運動家との連携体制を築こうとするが、アジトは韓国当局に襲撃され、メンバーは殺され、また捕えられる。渡邊は命からがら逃走に成功するが、その存在が韓国当局に把握されることになる。襲撃を指揮したのは、KCIAのキムであった。
実は、日本で発生した東アジア反日武装戦線によるテロ、さらに文世光による朴大統領狙撃事件(大統領夫人が死亡)はキムの手引きによるものであり、社会主義思想のおそろしさを人々にしらしめるために仕組まれた、反共国家による自作自演であり、革命家達は人柱として利用されていたのだ。
日本、福島県に逃げ帰った渡邊は、東アジア反日武装戦線残党(証拠が足らなかったのか、取り調べのみで釈放された)の若い女を手下に、天皇暗殺計画を進める。彼女にニトログリセリンの作り方を教え、大量生産のための機械や薬品を輸入。キムはテロ計画阻止のため来日し、福島県警警備課長、八巻と共に捜査にあたる。渡邊と共に動く女は、この八巻の生き別れになっていた娘であった。八巻は戦中、長崎の造船所で朝鮮人労働者を酷使する立場にあり、戦犯として逮捕された経歴がある。ところが朝鮮戦争に協力(上陸用舟艇の建造)することを条件に釈放されていた。その後の混乱で八巻は離婚し、娘と生き別れになっていたのだ。さらに息子は反戦運動に参加し、右翼の襲撃を受け重傷を負い、そのとき右翼に爆弾を投げ息子を助けたのが渡邊であった。息子は怪我が元で死亡する。娘は、家族を捨て、また侵略に協力することで生きながらえ、息子(兄)を過激な運動に駆り立てる結果になった父を恨んでいた。
渡邊と女は、計画を察知した者や爆薬製造機械の密輸情報を漏らしそうになるインド人船長を殺害し、さらにはキムの殺害も試みる(その過程でキムの父親を殺害)が、失敗する。キムは弱腰な日本警察に苛立つが、渡邊たちを捕えられないまま天皇暗殺計画の決行日、福島県天鏡閣への行幸当日を迎える。八巻課長の「娘が天皇襲撃計画に関与している以上、この警備を無事に終えて後に辞職する」という悲壮な覚悟のもと、万全の警備体制が敷かれるが、その隙を縫い、渡邊は電車を乗っ取り、ニトログリセリンを積み込んだ電車をお召し列車に向かわせる。女は追跡をまくために拳銃を発砲しながら逃走するが、キムにより射殺される。父親の目の前であった。
一方、渡邊が乗っ取った電車もキムにより捕捉され、渡邊は射殺される。お召し列車は無事に運行された。八巻は、一連の失態の責任をとるとともに、天皇に戦争責任を直訴し、その場でピストル自決する。
低予算映画ながら、後半は実際の電車を使った派手な戦闘シーンがあり、迫力がある。よく鉄道会社が許可したものだと思う。もしかしたら、こんな内容の撮影になるとは鉄道会社も想定していなかったのかもしれない。渡邊が線路を走るシーンでは、鉄道員たちが驚いたように見ているのが映り込んでいる。「なにやってんだ、聞いてないぞ!」とでも言いたげな表情で、実質無許可なのかもしれない。
この鉄道会社は電車は乗っ取られるわ、社長は若い愛人を殺された上に人質にとられ予定にない電車を出すように指令する役目を負わされた後、運転手と一緒に射殺されるわ、なんとも散々な目に遭う。渡邊文樹の映画では無許可撮影は当たり前らしい。おそらく、鉄道会社には全く違う穏当な内容で許可をもらっていたのかもしれない。あとで鉄道営業法などで告訴されそうな過激さである。
警察官、八巻が経歴を独白するシーンがあるが、カンペを棒読みしているような独白がかえって面白みがあるけど、その経歴は元造船技師で唐突に警察官になっており(曰く、友人に請われて)、県警課長にまで昇進しているのはかなり不自然ではある。元憲兵とか戦中も警察官だったなら分かるけど。
また作品世界は1970年前後にもかかわららず、パソコンが出てくるのも不自然である。若者の衣装も撮影時1999年の風俗そのものだ。
最も印象的なのは、やたら老人が出演している。渡邊たちを追い詰める警察官は軒並み老人である。八巻は50代くらいだが、部下の警官たちはもっと上、それも明らかに70越してるのでは、という風貌の者が多い。彼らがヨタヨタとテロリストを追いかけ、なぜかM16(米軍の軍用小銃)を構えたりと、ちぐはぐさが際立つ。一説には出演料が安い、趣味でエキストラに登録している老人を使ったのでは、とか、シルバー人材センターを頼ったのでは、とも言われている。あるいは、「老人が天皇を守り、若者を弾圧する」という構図を企図していたのでは、という読みもある。
なにしろ低予算で、自主制作のようなものだから、粗探しをしてもしょうがない。逆に言えば、ツッコミどころを見つけるのが楽しくもある。限られた予算と技術でここまで派手なシーンも含め撮っているのは凄いことだ。「自主制作だからここまで」という限界を突破している。
この映画、実は東アジア反日武装戦線の当事者や支援者であった人達には、あまり評判が良くない。確かに、東アジア反日武装戦線の実相を描いたものではなく、ストーリー性を重視してのある意味「歪曲」の産物かもしれない。東アジア反日武装戦線の闘争を目の当たりにしてきた人達にしてみれば、映画のために面白半分に扱われている、という感想を抱くかもしれない。それは渡邊文樹監督自身が覚悟の上で作っているのだろう。