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奥久慈の廃温泉宿 大子町 湯沢温泉
茨城県北端、八溝山地に抱かれた盆地が久慈郡大子町である。
この山間の町は袋田の滝で有名だが、温泉も出る。
筆者の父は大子町の出身である。父方の先祖は大子幕末に大子に住み着いたらしい。父の実家は東京に越しているが、親戚は今も大子にいるので、子供の頃は毎年、父に連れられて大子町へ出かけていた。そのため、大子は筆者にとって楽しい思い出の地である。
とりわけ思い出深い宿があった。
大子町では親戚の家に泊まったことはあまり無い。滅多にない家族旅行の機会でもあったので、ホテルや旅館に泊まる贅沢をしたのだと思う。泊まる宿は毎年変わったが、最初の思い出に残っているのは、静かな山間の集落にある、小さいけど立派な和風の宿だった。部屋から川が見え、まさに非日常を楽しめた。それに、大浴場の温泉が素晴らしかった。家の小さい風呂しか知らない子供にとって、大浴場はそれだけで小さな遊園地だった。
家以外の場所に寝泊まりする、広い風呂に入る、物心着いて初めての経験だったかもしれない。とにかくその宿が楽しく、深い思い出として残っている。大子町には他にも楽しい所はたくさんあったし、親戚との交流も楽しかったけども、第一に思い出すのはこの温泉宿だ。
この宿はどこだったか。実家に帰ったとき、父に尋ねてみると
「湯沢温泉じゃないか」
と言う。
大子は袋田温泉、大子温泉、と比較的大きい温泉がある。しかし湯沢温泉とは、聞いたことがない。父は
「水郡線の西金駅のところから、男体山方面に入ったところだ」
と言う。
「あの辺は古分屋敷(こぶやしき)っていう、眺めの綺麗な場所があるんだ。いちど行ってみたいんだ」
「こぶやしき?武家屋敷の跡?」
「そういう地名なんだ。隠れ里って言われているよ」
そうして「長い距離の運転は自信がなくなった」という父と共に、筆者が運転して大子町を訪れたのは、令和元年12月である。
筆者が大子町を訪れるのは何年ぶりか…もう10年は来ていない気がする。
12月ということもあり、紅葉はとっくに終わっていた。
「紅葉の時期は、この道(国道118号線)は大渋滞だよ。11月は全く身動き取れないね」
なんでも、紅葉で有名な寺があるらしい。筆者にしてみれば渋滞に巻き込まれてまで紅葉を見たいものなのか、まったく理解出来ない。
久慈川沿いに北上して、水郡線西金駅付近から脇道に逸れる。男体山方面へ。この山道を頂上近くまで行くと古分屋敷という地区が、その途中に湯沢温泉があるという。
「水郡線は今は西金駅で止まってるらしい」
と父。
「この前の雨で?」
「そうだ、鉄橋がいくつか被害受けてるみたい。橋脚が歪んでるのかな」
そういえば、やたらとJRの社用車を見かける。
「いつ頃、復旧するんだろう」
「さあ、しばらくかかるんじゃないのかな」
筆者がこの文章を書いている時点で、水郡線の完全復旧は令和3年夏の予定だという。何か工事が難航しているようだ。たしかに大子町内の水郡線は久慈川の渓谷に沿って、崖を這うように進む。鉄橋もトンネルも多い。工事の資材を運ぶだけでも大変そうなのだ。
筆者たちが目指す湯沢温泉も、小さな川に沿って山へと分け入っていく。数分、狭い道を車で進むと集落に出た。父によるとこの辺が湯沢温泉だという。
「旅館もこの辺にあった」
と言うので、その日は閉まっていた小さな商店の前に車を停めた。道に面して、今も使われているらしいポンプ式の井戸があった。そして、道の向こうには草が茂った中に廃墟。
「父さん、もしかしてこれ?」
「ええ?まだやってると思ったけど…」
父も戸惑っている。
筆者がスマホで検索すると、湯沢温泉ホテルは既に廃業していて、廃墟になっていると出てきた。
「2010年頃には廃業してたみたい」
「ええー、そうなのか。こんなにボロボロになっちゃうんだ…」
この辺りにはホテルの入口があったはずだ。
「ホテルのロビーに大きな木の置物があったよね」
「そうそう、それは俺も覚えてる」
父は、ここの温泉がお気に入りだったと言う。若い頃にも何度か訪れているという。
「もう湯沢温泉には一件も宿がないみたい」
「不便なところだからな。それに東海村の事故(JCOの臨界事故)や地震(東日本大震災)でずいぶんお客さんが減ったみたいだし」
この沢の奥に温泉の浴室があったようだ。
「お風呂は長い廊下を渡って行ったんた。八角形の変わった形の湯舟だった」
父はよほどこの宿がお気に入りだったのか、懐かしそうに細部を思い出していた。
たしかに、筆者もこの宿の古き良き雰囲気を思い出してきた。例えば、客室に入ったときの畳の匂い。夜、食事から部屋に戻ったときに布団がしかれていた、あのふんわりとした温かさ。朝、目が覚めたときの朝の光に布団の白さが映えていたこと。また満足して帰る一家を見送る女将の笑顔。その笑顔があった玄関は、その部分だけ解体されたのか、もう無かったけど。
「山の上の方に足湯はあるみたい。最近できたんだって…でも、土日祝日しかやってないみたい」
「そうか、また今度行ってみよう」
「せっかく良い温泉だったのに残念だな、このホテルは生まれてから一番最初の記憶にあるとこなんだよ」
「そうなのか?でも、こうして今どうなったのか直接見れたのは良かった」
父も筆者も寂しい気持ちには変わりなかったけど、十何年もの間、あたためていた思い出にひとつの区切りが出来たのである。
更に山の上の、古分屋敷。