230808

1さんは梨を剥いている。
台所には小さな窓があって、強い西日のような光がはいってきている。逆光でシルエットだけが見えている。鼻歌でも歌えばいいのに、真剣に剥いているらしく静かに包丁を滑らせる音だけが聞こえる。前にお母さんから果物ナイフをもらったんだと教えてくれたのできっとそれを使っているに違いない。
「ねぇ1さん」
私は小さなローテーブルの前に座って1さんの方をむいている。私の声は一切届かなかったようだ。よし、と小さい声で言う1さんはとてもかわいい。

味見をしたようで(ずるい)1さんの口からシャクシャクといい音が聞こえる。
「おいしい?」
私の質問はまた無視される。透明人間にでもなったような気分だ。
皿に一口サイズの梨が置かれて爪楊枝が刺さっている。爪楊枝をさしているにもかかわらず1さんは指でつまんで口に運ぶ。またシャクシャクシャクといい音がして梨のいい香りがする。
横に膨らんだほっぺたがかわいい。
台所から強い光が梨に届いて、梨の表面がキラキラしている。私は梨のはいったほっぺを触ってみたくて手を伸ばす。硬いかな。1さんは携帯を見ている。どうやら仕事の連絡がはいったようでその目は真剣でやはり私の存在には気づいてないと確信する。私は音を立てないように、そっとそっと腕を伸ばし1さんの頬に触れる。ちょうど風がふいてカーテンが揺れて、1さんの髪も揺れる。1さんは気にもしていないようだった。髪を耳にかけてまた梨をつまんだ。私の存在はもう1さんは認識できないようだった。急に寂しくなって1さんの髪の毛をなでた。私は1さんにとって風になってしまったんだなと思った。

目覚める

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?