適応障害療養2ヶ月目も半分をすぎた。 明後日の受診時には3ヶ月目の療養になるのであれば診断書を出してもらわなければならない。 職場の体制で、療養期間に代わりの人員を出す場合は5日前には診断書が必要だと、前回言われた。 微妙に違和感があるのだけれど、現場に指示に従わなければならない。 親としては、療養中に職場の人間に会わせたくない。 (本人が職場の人に会いたくないと話すので。) そんなこんなで、今の時間息子は職場で上司と面談しているのだと思う。 (今は私は息
初回免許更新ぎりぎりとなり、火曜日までとなった。 今日は金曜日、明日行くつもりだったが、土曜日は警察署はやっていない。 月曜日に行くというが、祝日であり、火曜日が最終日。 切羽詰まり、今から行くことにしたが、調べると適応障害での免許更新は引っかかることがあるようだ。 付き添いは諦めたが、本人のテンションはだだ下がりで、「死にたい」とまで言い出す。 けれど、付き添うのはやめた方がいいと思い、一人で行かせた。 息子の所に来て3日目、居すぎた。人が居るのが気になる
息子の所に泊まった朝、早く帰った方が良かったかも、とふと思った。 クリニック受診時に、「回りに人が居ると落ち着かない。」と話していたのに、「いつまで居る?」と聞かれて、思わず金曜日と答えたが、どうなのか? 息子は私の希望を聞いただけだと思うが、私は息子の状態を考えて木曜日と答えようとも思ったが、土曜日に友人が来るので、前日まで居たらいいかと判断した。 木曜日、「どうしたい?」とまた聞かれ、明日朝帰ると答えた。 本当は木曜日に帰り、金曜日は実家の介護のフォローをし
療養期間延長になり、少し気持ちが楽になってきたらしい。 クリニック受診時に話していた。 そして昨日は比較的元気で気持ちの切り換えが出来はじめた?かと思った。が、安易に安心してはやはりだめだったことの繰り返しを重ねているので、もう少し様子を見ようと思っていた矢先に、同じ事になった。 野球のワールドシリーズのドジャース優勝を観たら外食をするという話になり、出掛けた。 外食先に着いた途端に、表情が変わっていき、コンロを使う料理を注文したが、「もう帰りたい。」と。 何
一番辛いのは本人なのだから、それに寄り添うつもりでいる。 でも寄り添えていない。 すぐ自分のことに頭がいってしまいそうになり、ハッとする。 人間、自分が一番なんだとつくづく思う。 自分より大切だって思うのに、自分をないこととしてなは考えられない。 私だけ? 息子の所から家に戻る時は後ろ髪を引かれる思い、居ても出来ることがないから、色々考えるけれど、彼を信じて、頑張ってもらうしかないと気持ちを入れかえる。 ある一言で気持ちを高ぶらせてしまい、反省するの
療養期間が一ヶ月延びた。 周囲はあと二ヶ月延ばすよう促しをほのめかしたが、本人の意思を尊重することなった。 親としては、本人の望みを全力でフォローすることを目指している。 診断書の提出がぎりぎりになったことで、管理側に迷惑を掛けたが、「自分の事を一番に考えてくれたらいいから。」言ってくれていたので、安堵した。 これからの一ヶ月、どう過ごすか。 どう過ごせるか。 なんとも心許ない親なので、出来ることが解らなくて、頭を悩ませる。 このままでは、又一ヶ月
適応障害療養中の息子の所から自宅に戻り、介護中の親を病院受診に連れて行くのに、後ろ髪を引かれる思いで息子の所を出てきた。 どちらをとると言われたら、息子の方を取る。 …が、やらねばならないこともある。 月に一度の病院受診、週に一度のお薬カレンダー、週に二回のデイサービスの準備等々。 このうちデイサービスの準備はヘルパーさんにお願い出来そうだ。 親の顔を見るとは今の私には必要ないのだけれど、将来の私に必要な気がして、何とかやっている。亡くなった時の後悔を少なく
「何か何か俺わるいことしたかな? 何でこんな目に。」 と、言う。 何もしていないと返す。 彼のしんどさが伝わる言葉だ。 受け止めるしんどさを自覚してしまう。 そして、改めて襟を正す。 私は受け止める。と。 それにしても、タイミングというのはあるものだ。 そして、現在は悪すぎる。 洞察の甘さなのか、判断の甘さなのか? イヤ、両方だ。 それもある。 こんな親でごめんなさいという事もあった。 味方であるというのは絶対変わらないのだけれど、言
「今日来れる?」というのがあるので、予定がたてられない。 今は、そう待つのが仕事。 毎日送られてくる旅行社のメールを読まずに削る。 少しさみしい。 でも、またそのメールが来て、連絡がついたことで、安心する。 何にも代えられない。 適応障害闘病中の息子への接し方は暗中模索で、失敗が許されない気がして、こちらも神経をすり減らす。 他人にもアドバイスを求める。 その言葉の中で、私が出来ることは、心理的安全性の確保だけだと思った。 一言で言えば簡単だ
思うようにいかないと言うか、自分でこういう風に進むだろうなどという予測はことごとく破られる。 コントロールが効かない。 こういう言い方が一番ぴったりくる。 「どっちにするとか、選択させるのはやめてくれ。」と言われ、言い方の難しさを感じ、「しばらく連絡しないでくれ。」と言われ、かかわり方の難しさに困惑している。 状態の不安定さを離れた場所でどう確認したらいいのだろうか? 分かっている振りは私自身を守る為だけのものだったと、改めて感じていて、息子にとっては、
落ち着いてきたと思っても、そうは問屋が卸さない。 気分転換のキャッチボールもしばらくすると座り込んで下を向いている。 何とか家に戻るが頓服薬を飲む。 薬の効果が出るまでしばらくは静かに待つのが鉄則。声を掛けると手で払われる。 何を思い詰めるのか分からない。明らかに出来ないまま、ただ待つのは苦しいものだ。 今日も急に呼び出された、というか、朝に今日はいかなくていいかと確認し、大丈夫との返信があったので、予定にあったものをこなしていると、「やっぱり、きびしいから来て。」
私自身の振り返りをしてみる。 介護に追われて、気持ちのやり場のなさをどうにかしたいとnoteを書き始めたが、息子の適応障害が発病して、どうなる!と、落ち着かない日々が始まった。 日々の記録になっているが、改めて内省してみる。 介護について、以前は介護は他人に任せるのがいちばんだと思っていたし、聞かれたらそう答えていた。 実際、介護が始まるのは突然で、冷静で的確な対応は無理だ。 手も口も出したくなる。 そして、親とぶつかる。 理想など彼方。 親を
診断書が出て、休みに入り、一週間がたって、再診。 自分の現状をオブラートに包んで伝えたと話す。 薬は強くなった。頓服薬は強め。 家事をやろうという気持ちが出てきて、時間の余裕がなかった日々には手が回らなかった所に手をつけ始めた。 洗濯物のたたみ方。 改めてやり始めた。 料理、野菜が乱切り状態の味噌汁。 ストッカーに入っているものを全て洗濯している。 必要あるかないかは指摘しないことにする。 それもそれぞれの価値観なのだろう。 でも、そうしてき
感情の波はあり、休養を受け入れようとするときと休まされていると否定的になるときと。 外に出るきっかけ作りで河川敷でキャッチボールやバッティング練習もどきをやっている。 休養しはじめはすぐに座り込んで下をむいていたり、長続きしなかった。 今も座り込むことはあるが、復活して投げたり打ったりが出来るようになった。 遠くに飛んだボールも自分で拾いに行くことも出来るようになった。 休養7日目 帰りにショッピングモールでランチが食べられた。 本屋で本を何冊か購入
介護と療養のフォローをしていると時にどうしたらいいのかという場面に当たる。 今日は療養フォロー中の息子の所に来ていたら、デイサービスから連絡が来た。 ちょうど車で移動中だったので、気づかずにいたが、息子の所に着いてしばらくして気づく。 まず頭に浮かんだのは、以前と同じく、「熱発したので迎えに来て下さい。」という言葉。 移動に1時間半程かかる。 まだ息子のケアをしたい。 今日は私は泊まる予定。 諸々、頭に浮かぶ。 けれど、連絡を返さねばならず、あれこれ
診断書での療養が始まった。 クリニック受診の次の日、私は午前中仕事があったので、終わり次第介護中の母のいる実家での諸々を終え、息子の所へ向かう。17時過ぎに着くが、朝から一口サラミ(50本入り)を食べて過ごしていたとのこと。 スパゲッティとサラダ、チョリソーの夕食を食べさせる。 昨日、眠剤を飲むのを忘れたとのこと。 夕食後薬を促す。 入浴するとのことで、浴槽に湯を張るスイッチを押し、たまった途端に、職場にから書類についての連絡が入り、そのまま出掛けてしまっ