わたしは読書ができない。(201230)
わたしは「読書」ができない。
1日1ページ、いや、1日半ページも読めば眠くなるか、内容が途端に頭に入ってこなくなる。
そういうことに気がついた。
小さい頃から、絵本も青い鳥文庫も紙芝居も全く読めなかったから、読まなかった。興味があるだけで、興味に体が追いついていない感じ。
ハリーポッターがとても流行っていて、あの分厚い本を読める人は「カッコいい」と思っていた。図書室にこもって本を読んでる人も、1週間に何冊を本を読む人も、年間読書量?みたいな表彰をされている人も、みんな羨ましかった。本に関する好奇心だけはとても強かった。
だけど、本は読めなかった。読まなかったんじゃなくて、文字通り、読めなかったんだと思う。
「なんでだろう。」
当時はずっと本を読めない自分が落ちこぼれに見えてしまっていた。好奇心だけが先走って、無理矢理図書館に通ったこともあったし、読書感想文を完璧に書き上げようと嘘をついたこともあった。一度に何冊も借りることで好奇心を無理矢理満たしていたこともあった。
中学生の頃に朝読書の時間があったけれど、その当時流行っていた携帯小説が書籍化された本を、何度も同じところだけ読み返して時間を潰していた。周りにはどんどん新しい本を積み上げていく人がいて、見ていて羨ましかった。
わたしは数少ない情報からさまざまな情景を感じとる。本なんかだと、特にそう。なのかもしれない。何か目的があって書かれたと思うと深読みか深追いかわからないけど、目次を読んだだけで想像が膨らんでしまい、内容まで頭が追いつかない。その想像?妄想?自体に内容は特にないけど... むしろ自覚できていない。だけど、文字一つから感じとる情報量がとてつもなく多いのだと思う。
そんなことに気がついたのは、ついこの間、昨日?おととい?覚えてないけど、
「僕は本が読めない。」
ってどこかの誰かがネットに書き記していて、
「本って読めない人もいるんだ。」
と、思ったことがあったから。
長年、自分が本を読めないのは『技術がないからだ。』とか『興味関心が足りないからだ。』とか思っていたけど、「わたし本読めないんだな。」ってその時に腑に落ちたら、毎日読む1ページが楽しくなりそうそうな気がしてきた。
「読書」は『したい』と思ったら、いつのまにか『やらなきゃいけないこと』になっていることが多かった2020年でしたが、2021年は読書との向き合い方が変わりそうです。
昨日も1ページ読んで、表題見ただけで自分の中で勝手な予測及び解説が無自覚のところで始まってしまい、1ページの内容を理解するのに何度もページを開いて閉じてを繰り返しました。
本は〝読むか、読まないか〟の2択だと思っていたけど、まさに人によって本との付き合い方があるらしい。
「教科書って結局何も書いてないじゃん」って思っていたけど、あながち間違いではないのかもしれない。
と思っておこうと思う。
それではまた明日。
(今日の写真は、家の真前で身バレ警報発動したので、お蔵入りです。夕焼けが綺麗でした。)
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