"ラプラスの悪魔"は『桃缶』を挟み"シュレディンガーの猫"になる
先進諸国の子どものWell being(=幸福度調査)に、"食卓に『果物』が上る頻度"、という項目があり、得心した。わたしがひとり暮らしを始めて、真っ先に削ったのが『果物』だった。正確に言えば"加算法"で生活を"再構築"していく最中、生活費は『果物』までなかなか到達しなかった。
トイレ一体式ユニットバスの部屋で生活し始めると、『長い髪』というのは好み以前に、空間的・時間的に余裕がある『象徴』だ、と実感する。やがてゴニョゴニョあって子どもが出来ると、前に比して広い空間に移り住んだにも係わらず、手間の掛かる『長い髪』は切り、"遺伝子"が発現するように、一様に『果物』を買うようになる。どこからともなく、子どもの眼前に、季節のものを取り入れんとする衝動に、駆られていく。
ぶどう糖はショ糖を経由してグルコースになり、アナボリック(同化)系代表ホルモンであるインスリン分泌を刺激する。一方、果糖(フルクトース)は肝臓で代謝され、消化器系に残渣するものと、糖新生によるグルコース変換利用されるもの以外は、中間体を経由してミトコンドリアに運ばれる。ここで重要なのは、ヒトはそのままではフルクトースを活用出来ず、肝臓(肝毒性)を経て、初めてエネルギー化出来る。重ねて『AGEsの中のAGEs』とも呼ぶべき"終末糖化産物"を、他のエネ回路に比して多く作り出す。まるで大量のすすを吐き出し走る不正軽油のような"不合理"が、『果糖(=フルクトース)』にはついて回る。無論、果糖≠果物であり、直ちに『果物』をスティグマ化するつもりはない。
キリスト教ではEdenを追われる切欠になり、ギリシャ神話では"諍いの女神"により投げ込まれる。『果物』とは我々にとってナンナノダラウ。
『青春ブタ野郎シリーズ(©鴨志田一)』における、"ラプラスの悪魔"こと="古賀朋絵"のエピソードに"モモ缶"は登場する。『正義の女子高生』に変態する前哨、"エンドレスエイト"の無限に続くタイムリープの中において、"モモ缶"は即ち、『止まった時間※』(※不可能性=開けたらお終い ※不可避性=何時でも開けられる)を暗喩している。『俺ガイル』三期ep.9においても、『モモ缶メタファー』はオマージュされる。とろけるように甘い"無限地獄"の中、『止まった時間(=flagtime)』が永遠に続けばいいのに‥という、由比ヶ浜の願いと、それを打ち消すように『新鮮な果物』が、"フレッシュタルト"に同居する。季節は廻る。めぐり先輩☆ミ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?