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ぼく地球① ~合理的な虚構~

色気は誤解されている。
華美な装い、洗練した所作、作為的な表情。
そうした"意識"の埒外に"overshoot"するもの。

とある政治家が、小説家との書簡形式のやり取りにて、"(小説家の名前)さんが言うように、絶望をひとつひとつ潰していくことでしか、希望は生まれない"、という旨の発言をしていた。その小説家がいかにも言いそうな、しかし決して言わない台詞に、どことなく違和を覚える。小説家に託すフリをして責任を免れる厚かましさ。政治家という生き物の厭らしさを感覚する。

"絶望をつぶさに潰しても、神経症(=ノイローゼ)に陥るだけで、希望はうまれない"。

わたしの敬愛するその小説家、村上龍はきっとそのように応えるだろう(※後にエッセイにて、"名指し"を避けつつ述懐)。流通するパブリックイメージとは裏腹に、いかにも言いそうで、言わない台詞というのがある。毒蝮三太夫は"汚ねぇばばあだな"とは言っても、『くそばばあ』とは言わない。ビートたけしは『ダンカン馬鹿野郎』という言い回しを、楽屋で松村邦宏から教わっているという。

だが政治家にはそれが無い。彼等にとって言葉は手段でしかなく、目的を遂行出来れば、どんな言葉でも使う。ALS患者の記録である「逝かない身体」の中で、著者川口有美子は、『ピンチがチャンス』と言う政治家を殺したいと思った、と率直に綴る。

§   §   §

夜、ひとり公園で、軽く身体を動かす。異質なものを感じ、見上げると予期せぬ満月が在った。

新宿駅より御苑に沿って都内中心部に向かう新宿通り。右折すると千駄ヶ谷に抜ける交差点に、その芸能プロダクションの事務所はあった。1986年4月、同事務所所属の女性アイドルが自死する。パパラッチ系の雑誌に損壊した遺体写真が載り、ワイドショーでは連日、父親とも年の離れた男性俳優との交際に帰責する糾弾が続く。ウェルテル効果に惹起、同世代の後追いと見られる自死が相次ぎ、特異的に若年層の自死数が高くなる同年末、「ぼくの地球を守って(©日渡早紀)」は『花とゆめ(白泉社)』誌上にて連載を開始する。その前年「男女雇用機会均等法」制定、同年施行、後に第3波"feminism"と指摘される。

"ぼく地球"とは何だったのか。今でも時折思い出す。或いはずっと、どこかで参照し続けている。日渡早紀の作品群を見渡すと、随所々々に"宗教的符号"がかなり分かり易く散りばめられている。(ex.『GLOBAL GARDEN』)それらを踏まえ、かの作品を改めて眺むると、かなりはっきりした"輪郭線"を見ることが出来る。

作中、明確な言及は避けられるが、キーとなる人物のひとり『シウ=カイドウ・秋海棠』は、おおよそ"医師"と思われる。"ぼく地球"が原初キリスト教を参照するなら、医師は、すなわち第三使徒ルカ(聖路加)に相当する。ルカは、医師であり画家。当時の"画家"を敷衍すれば『広告屋』にあたり、加えてルカとは異邦人(Greece)、つまり"部外者"としてイエス・キリストに同労し、寡婦暮らしをする"母マリア"から、かつての"イエス"の生まれる経緯を聞き出し、顛末を記録したその人(ルカによる福音書)である。知識階級にある医師ルカと、労働者階級の夫ヨゼフに添う、識字も覚束ないマリア。"処女懐胎"を知り、一時は離縁を迫ったヨゼフ。ふたりの間に何があったのか。『処女懐胎』から出産に至る一連は、ヨゼフとマリアとその縁故、そしてルカのみが知る"密室劇"になっている。繰り返しになるが、当時の画家の役割は、印象操作に長ける者。つまり使徒ルカとは、原初キリスト教における"スピン・ドクター(spin doctor)"といえる。

#ネタバレ

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