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万字炭山、という忘れ去られた町へ向かった。美談ではないけれど。

財政破綻で有名になった夕張から、北へ数キロの山深い谷間。ここに万字炭山という忘れ去られた町がある。名前の通りかつて炭鉱があった町だ。岩見沢の町から万字線という鉄道も通い、夕張と同じくかつては隆盛を極めた。

だが時代の流れには勝てず、炭鉱は閉山。人は去り、奇しくも俺が生まれた昭和60年3月に国鉄万字線も廃止された。



 それから16年。高校2年の夏に俺は初めてここへ来た。1日4本しかないバスで岩見沢から1時間、廃線跡の探訪のためここへ降り立った。当時は自分でも良くわからなかったのだが、どうやら俺は当時から、衰退していく町に哀愁と魅力を感じていたらしい。 


 今と昔の地形図を手に、人のいない目抜き通りを歩いた。仲町と呼ばれる地区は万字駅を核として栄えた言わば万字の中心街だ。
 夏の陽炎に浮かぶ町と覆いかぶさるような緑。そこにあるのは停滞と緩やかながら留めようもない衰微だった。

 古ぼけた木造家屋の半分は廃墟だが、それでも数件の店は開いていた。中へ入ると80を裕に越えたと思われるばあさまが現れた。のど飴を買って開けてみると、妙にねばねばしている。まさかと思って裏を見ると賞味期限が5年切れていた。
どうやらここは時間が止まってしまっているらしい。

町外れの急斜面を上っていると、様子のよい老婆が炭鉱長屋の前でなにやら作業していた。「こんにちは」と声を掛けると、「どこから来られた?」
それで少し話すと、「お茶でも飲んで行きなさい。暑かったろう」と家の中へ招かれた。帰りのバスまで30分ほどあったので、お言葉に甘えた。
 旦那さんは炭鉱で働いており、先立たれてからずっとここに一人で住んでいるらしかった。何かの縁なので、線香を一本挙げさせてもらった。
 すぐに時は経ってバスの時間になり、おばあさんは名残惜しそうに手を振った。
 ここへ来て本当に良かったと思った。


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 その後、おばあさんは手紙をくれたり、北海道の野菜を送ってくれたりした。うちの実家を巻き込んで、何年もその付き合いは続いた。手紙の中でおばあさんは、旅行者との一期一会からの付き合いを周りに住む人たちに「騙されてるんじゃないか」と言われた、と言っていた。だけれど「あのひとはそういう人じゃない」と俺のことをかばった、と言っていた。
 小さい頃からの習いで一本の線香を上げたことが、見ず知らずの土地で大きな信用になったようだ。


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 大学1年生の夏、俺は友人Kと共に2度目の北海道へ行った。万字への再訪も果たした。バスの時間の関係で30分ほどしか時間がなかったが、おばあさんの家へ伺った。おばあさんはすごく喜んでくれた。
「友達も一緒に泊まって行ってもいいんになあ」と言いながらまた名残惜しそうに手を振った。散々拒否をしたが餞別まで頂いた。


 俺は長崎の大学に行っており、実家とおばあさんの付き合いは続いているようだった。たまに送ってくる仕送りに、北海道の野菜が入っていることがあった。本当に申し訳なく悔やまれるのは、俺自身が途中からお礼状のひとつも書かなくなったことだ。
 そう漠然と思っていたある日、母から連絡があった。


「北海道のおばあさん、お亡くなりになった、って。」



もう何もできなかった。俺なんかが会いに行っただけで、本当に嬉しそうだったことを思って、胸が痛んだ。北海道の山中に残された町の残骸。そこに残って生きる人生。人が町から出て行くたびに、残った者がその家を潰すのだそうだ。
 そんな中で、若者がここに興味を持ってくれたことが嬉しかったのだと思う。そしてそんな物好きな旅行者に希望を抱いたのだと、僭越ながらそう思う。
 人生で何が幸せか、おばあさんは何の陰りもなく「相手が喜んでくれること」と教えてくれた。




そして今回の旅だ。万字へと再訪しようとしたのは言うまでもない。
岩見沢へも寄り、中央バスのターミナルへと行った。だが「万字仲町」の表示はもうなかった。

 「あのう、万字へのバスは?」
 「もう万字までは行ってないね。お客さんいないから。あ、途中までなら走っていますよ。」
 「わかりました。どうも。」


 その日の岩見沢は3月にも関わらず吹雪いていた。吹雪の空に谷の彼方の集落を思い浮かべると、あの町は雪に埋もれて消えてしまったのではないかと、幻を見たような思いがこみ上げた。




 いや、事実そのようなものだ。公共交通がなくなるほどの過疎、ついには町の消失が待っている。こうしてなくなっていく町は、知られていないだけで本当に多い。産業が去ってそこに役場や役所がなければ、資本主義の自然の成り行きで町は消失する。
 衰退する町に取り残された人たち、そして最後まで残った人々の気持ちはどのようなものだろうか。

 地方交付税の役割は、地方と都市部の格差の是正にある。自然に任せておけば特別な産業のない地方の町は廃れる一方であり、都市に一極集中する。特に夕張や万字のように炭鉱が主産業だった町は厳しい。地方の最大の企業は、事実として役場を始めとした公共機関である。もとは無人の山野だった町が産業や役所を失えば。。ほおって置けば野に帰るのみである。


 変な趣味を持ったために色んな町の姿を見てきた。時代に於いて仕方がないことなのは認めつつ、人情としては合理性、自由競争、グローバル化の弊害を思う。


 どんな場所にもそこに住む人がいて、色々な思いで生きている。
 そんな町を、時代の宿命に無力を感じながら旅を続ける。
いつかもし俺がちょっとした力を持てたとしたら、万字や夕張のように時代の波に飲まれてあえぐ町に小さな光を届けられたら、と思う。

これはもしかしたら俺の夢なのかもしれない。



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