三島由紀夫雑感。
後ほどきちんと形にしますが、三島由紀夫は森田必勝や、その他2人の楯の会会員を巻き込まずに1人で決起を立案し、1人で切り込み行動を完結させるべきであったと思う。三島文学は「個」が主体となり、『剣』の国分次郎の様に1人で考え、カタストロフまで終結させる潔さがあった。三島由紀夫の年齢を超えて49歳になろうとしているが、45歳になり私が実感したのは、この年齢になると若い、血気盛んな人物の行動を諌める立場になるという社会的立場である。社会的立場という言葉は凡人が使う言葉だが、三島由紀夫個人で死まで完結すれば、私の心の蟠りも消えたはずである。しかし、森田必勝の死を無駄にしてはならない。他の2人が裁判で訴えた事実を尊重せねばならない。そこに私なりのジレンマを感じてまた、三島由紀夫について複雑な感情が入り乱れるのである。
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