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ドナルド・キーン先生を偲ぶ。

私がドナルド・キーンの名前を知ったのは19年前。三島由紀夫研究をしていた私が、ドナルド・キーンの名前を知るのは必然であった。三島由紀夫の旧全集を担当していた事もあり、三島由紀夫、川端康成の英訳、徳岡孝夫との『悼友紀行』等の仕事で私はシンパシーを感じていたし、いつか会いたい人物の筆頭にあった。私はキーンさんより前にエドワード・サイデンステッカー と会っていた。三島由紀夫の『天人五衰』、川端康成の『雪国』の翻訳など、著名な仕事をこなしていた。憂国忌で村松英子との対談で講演していたのを観たのが最初で最後で有り、三島由紀夫評伝にサインを頂いた。講演が終わった後に裏口に回って待ち伏せしたのである。サイデンさんは本を差し出すと快くサインに応じてくれた。お付きの女性が、「三島さんの本ね、名前書いてあげた?」とサイデンさんに尋ねると「書いたよ。」と答えた。この一連のやりとりが、キーンさんと会う序章になるのである。
サイデンステッカー は2007年4月26日に上野公園の不忍池で転倒事故を起こし、意識不明となった。そして8月26日に逝去された。
その年の11月4日に上野精養軒でサイデンステッカー を偲ぶ会がおこなわれた。私はサイデンステッカー さんと一回しかお会いした事がなかったが、哀悼の意を示したかったのと、発起人にドナルド・キーン先生の名前があり、先生とお会いする千載一遇のチャンスだと思ったのである。先生は来賓席に座られていた。私は意を決してキーン先生のところに駆け寄り著書にサインをお願いした。キーン先生は快く応じてくださり、「お名前入れますか?」と仰ってくださり、ゆっくりと、丁寧にサインを書いて下さった。前に丸谷才一がいて、鼻を伸ばしながらサインする様を眺めていたのが印象的であった。
その後、キーン先生はサイデンステッカー 先生について追悼の辞を述べた。サイデンステッカー と私はライバルと言われたがそうではなくお互い協力しあった関係であると。
2回目は三島由紀夫文学館開館10周年記念フォーラム・パネリスト:ドナルド・キーン氏、横尾忠則氏(2009年11月21日(土)、山梨県)であった。あれからもう10年になるんですね。
三島と歌舞伎座で会った思い出や、自決時の衝撃を淡々と述べていたが、その口調が友人を労わる想いに満ちていた。二次会で、一緒に写真撮影したのも良き思い出となった。
最後にお会いしたというと語弊があるが、観たのが2015年に開催された国際三島由紀夫シンポジウムである。
講演されていたのを拝聴しただけで、直接話すのは叶わなかった。講演が終わった後にキーン先生は両脇を抱きかかえられて、会場を後にした。せの時に先生がこの世を去るのが近いのではないかと実感したのである。
徳岡孝夫との共著『悼友紀行』でこの様な一節がある。
「徳岡さんは、三島さんのかつての友人の多くとは異り、自分が彼の心の友であったことを否定している。彼は、三島さんの作品をほめるが、それ以上に、彼の言葉によれば、「いいヤツでした」と三島さんのことを回想するのだ。私は、この同じ言葉を現在形に改めて、そのまま徳岡さんに対して用いようと思う。ー「いいヤツです」ドナルド・キーン」
と書いている。私はキーン先生と文学的な教えを直接得る事は出来なかった。しかし、先生の著書を通じて三島由紀夫、明治天皇、古典について学んでいる過程である。三島や徳岡さんに対して「いいヤツです」というキーン先生が羨ましい。
この場だけ言わせてください。「キーン先生、お会いした時も、著書でも先生はいいヤツでした。」
心よりドナルド・キーン先生の御冥福をお祈り申し上げます。

追伸 沢田研二の曲で『Uncle Donald』という曲がある。まさかドナルド・キーン先生の事とは思わず聴いていたが、それを頭に浮かべると曲の全く異なる景色が浮かんでくるのだ。

秋山大輔拝


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秋山大輔
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