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チャーリー・ワッツに捧ぐ。

 何故、チャーリー・ワッツが亡くなってしまったのか。私よりもローリングストーンズが大好きな方々が高尚な追悼文を書いているだろうから、ここでは個人的な感慨を書きたい。
 チャーリーに何か異変があったのではと感じたのは8月25日朝に観たポール・マッカートニーのInstagramである。
 髭面のポールが鎮痛な面持ちで何か語っている。どうもチャーリーについて話しているらしい。ただごとではない空気を察知し、ネットニュースで24日にチャーリーが天に召された事を知ることになる。
 何を書いても陳腐になってしまう。小学生時代にビートルズファンになり、ローリングストーンズを好きになったのは初来日の前年、1989年である。近所にストーンズファンでビートルズ嫌い(笑)の友人がいた。彼は私に「お前、何ビートルズ聴いてんだよ。ストーンズ聴けよ。」と言いながら貸してくれたのが当時の新譜『スティール・ホイールズ』であった。26年も活躍している老舗のバンドとは思えぬ斬新なサウンド。1日にしてストーンズファンになった。
 無論、ミック・ジャガー、キースの名前は知っていたが、その不良性と悪魔的なイメージがこれまで聴くのを忌避させていたのである。
 ミック、キース、ロニーがやんちゃ三兄弟なら、それを横、後ろから見守るのかビル・ワイマンとチャーリーであった。
 私は「静」の中に荒ぶる「動」があり、リズムを忠実に刻みバンドのサウンドに深遠さを加味した2人に尊敬の念を抱いた。激しいロックバンドに対照的な2人。私は特にチャーリーの姿勢に惚れ込み、当時ストーンズファンクラブに入っていたが、一番好きなメンバーにチャーリーの名前を書いていた。
 ストーンズの屋台骨を支えたという意味では、キーボードのイアン・スチュアートも同様である。
 それからストーンズが来日すれば必ず1回は足を運んだ。一度東京ドームの横側、チャーリーのドラミングをじっくり鑑賞する機会に恵まれた。
 激しいギターのうねり、ミックの泥臭い歌声の中で基礎に忠実なチャーリーの演奏はドラムマシーンではあるが、忠実に空間に音を刻む芸術であった。
 チャーリーはストーンズのアルバム全てに参加してきた。キースが「ストーンズはチャーリーだ」と言ったのは紛いなき事実であろう。
 ストーンズは9月からアメリカツアーに出る。8月頭に発表されたが、チャーリーが術後の為、不参加が発表された。代打はキースのソロバンドにいたスティーブ・ジョーダンである。
 私は反発した。「チャーリーがいないストーンズがツアーに出るなんて」と。なんだか不条理な怒りが込み上げたのである。
 当時のチャーリーのステートメントでは「静養して来年には復帰する」とのことだったが、それを私は信じていたのに…。
 ここからは私の推測でしかないが、チャーリーの容体が急変したのではないかと考えている。もし、チャーリーが危ないと分かっていたらメンバーがロンドンに集結したかもしれないし、ツアーも中止になっていたかもしれない。
 もう、こんな推測は意味をなさないが。
 ストーンズファンでなくてもジャズに造詣が深かったチャーリーを慕う人は多い。音楽界の大きな損失である。
 ありがとう、チャーリー。私は30年間貴方が大好きでした。ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンと同じ品がある一流の英国紳士であり、家庭人であり、名ドラマーでした。
 この穴を私はどう埋めればよいのでしょうか。
 9月のツアーの映像が流れれば、最後にメンバーが集結する写真がインターネットに溢れかえるでしょう。その列に貴方が居ないなんて。信じたくありません。貴方が亡くなってから、ストーンズのライブを何度も何度も観ています。
 貴方が居ないことを信じないことにします。
 「59年間、ストーンズやってきたから数年はロンドンで家族とお茶を飲みながら休むよ」
と照れながら語っていると仮定して、私は生活していきます。
 今、貴方は私のテレビの中でビートを刻んでいます。
 「ギクは終わらない。キースがやれっていうからさ」


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秋山大輔
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