幸せってなんだろ
52年前のある夜、父は酔っ払って母を抱いた
母にとっては決して悦びではなかっただろうが
私を身籠った。
何故知ってるのかって?
それは父が不倫をしたり、お酒で粗相をしたりしてたとき、母が父に説教とも取れない思いを伝えていからだ。
「あなたは一度だってお酒を飲まずに私を抱いたことあった?」
これだけで充分なのだ。
母は一人っ子だったので、大人になったら子どもを沢山産むと決めていたらしい。
野球チームが作れるぐらいと言っていたが、
三人止まりだった。
それでも、十分だと私は思った。
彼女は何人いようが、満足しないし、また男子しか大切にできなかっただろうと思う。
父も酒に弱く、家庭的な男ではなかったが子煩悩は強く、
一般的に、天然ボケというか、マイペイス&マイ・ウェイと言われていた姉を大切にしていた。
離婚できなかった理由は娘の顔が浮かんだという。
誰の顔だったかは敢えて聞くのはやめた。
母は、自分の父親のことを知らなかった。
カトリック教徒で誕生日が12月25日Xmasだった彼女の母は、八丈島の小学校で教員補助をしていたようだか、仕事できていた既婚者の祖父と恋に落ち母を産んだ。
考えてみれば、昔は側室やら妾やら本妻以外にも子どもを産ませる風習があった。 それでも明治生まれで大正デモクラシーを経験していた祖母にとっては自立する女を選んだ。
曾祖母は高齢になって病弱になっていたが、母を育てる手伝いをし、そのうち母が彼女の祖母(私の曾祖母)の介護をするようになって最期を看取った。
母は幸せだったのだろうか。
彼女にはアメリカ人の親友が数人いた。
亡くなる3日前に「人生で一番楽しかった時はいつ?」と聞いたら、34~8才の時、近所にアメリカ人の学生さんが住んでいて、母が英語が話せるからという理由だけで、友達になったが、私のベビーシッターをしたり、母の作るご飯を食べにきて毎日 家に出入りしていたころが、一番楽しかったといった。
78年間、最後まで残った楽しかった記憶が40年以上前の事だったことに私は心が痛んだ。
最期の数日、幸せだと感じながら死んでいけるわけではない。
どんなに大成功をしたスティーブ・ジョブス氏でさえ、後悔をしていた。
幸せな瞬間に死にたいなんて、贅沢な願いなのだ
そうなんだ。
だから、私は、後悔ないように生きるんだ。
有名人になれなくても
「好き」だって気持ちが死ぬまで持てるように
瞑想家になった。
母に久々に会いたい。
幸せそうな顔した母が迎えた最期の苦しい一週間を
私は決して繰り返さない
最後は絶対笑ってさよならする。