DJ SASA終活的備忘録(3)【DJ SASA誕生前(大学生時代)】
1年予備校に通って入学した大学は立教大学社会学部観光学科。
"観光"を選んだ理由は明確で受験当時細野晴臣&中沢新一の"観光"という書籍を読んでいたから(今となっては内容は覚えてないけど)
今、改めて購入して読んでみようかと思ったらAmazonで50,000円。
初めての1人暮らしは池袋のアパート。大学まで徒歩20分位。
高知からシンセサイザーを送ってもらって部屋の隅に鎮座させる。
入学して音楽サークルを探して"アルビオン"に入部するもウマが合わないと思い1週間位で退部して"R.F.U."に入部。
退部したことでアルビオンからイタズラ電話がかかってきたり等と変なイジメがしばらく繰り返された嫌な思い出。
R.F.U.では同期のバンドで佐野元春のコピーを、先輩バンドに混ぜてもらって
ブルースブラザーズ,Jガイルスバンド、サディスティックミカバンドのコピーを。
大学2年になりサークルにも後輩が入ってくると自分のリーダーバンドを結成したり同じ趣向のメンバーとバンドを組んだり。
機材も少しずつ増えてRoland TR707,SH-101等当時比較的安価だったドラムマシン、モノシンセを購入。
戸川純好きな子がサークルに入部してきたので上記機材を使いながら戸川純、MIKADO、NEW ORDERをコピーしてた。
立教大学の学園祭は小林克也&ザ・ナンバーワンバンド、MUTE BEAT、いとうせいこう&TINNIE PUNXが出演したりと充実したラインナップだった。
大学3年の頃に坂本龍一のライブの影響でYAMAHA KX-5を購入して走り回ってキーボード弾いてたな。
大学時代のアルバイトはヤマハ銀座店の1FにあったCD売場にて。
最初の仕事は消費税3%のシールをCDやLDに貼る仕事だった。
売場の裏に商品の仕入れルームがあってそこでポロシャツ&ジーパン姿の兄さんが商品データを作ってて。名前は宮崎さん。ギターを弾いてるとの事。
"お前どんな音楽聞くんだよ?近田春夫か?"
”スカって知ってる?"
"今度ヤマハの近くでライブやるから遊びに来なよ"
-って言われてバイト仲間と共に向かった会場は汐留PIT。
スカタライツの初来日公演のフロントアクトを務めたスカフレイムスのメンバーだったのだ。
※ちなみに今もそのギタリストはヤマハ銀座店で勤務している。
高校時代にスペシャルズを聞いてたけどスカフレイムもスカタライツも初めて聞く音楽。キャパ3000人のオオバコは結構人が入ってた記憶。
ただオリジナルスカ初心者にはなかなかキツかった・・・・。
延々と"ンチャ,ンチャ"というリズム。全ての曲が同じに聞こえる。苦痛だ。
早くライブ終わらないかな?早く居酒屋に行きたいなと思いながら終演を待っていた。
ただ面白いキーボード奏者がいて笑った。
途中で彼をフューチャーした時間(2曲?)があって。
彼はYAMAHAのCPでエレピを、KORG M-1でオルガンの音色を弾いていて。途中でスニーカーとソックスを脱いで足で鍵盤を押したり。酔っ払いか?プレイに注目した。画質が悪いが当時の映像がYouTubeにアップされている。
そう、ジャッキー・ミットゥーだ。
プリンス・バスター、ローランド・アルフォンソ、グラッドストン・アンダースン等もメンバーだったが誰も知らない。そんな中、彼の存在感が際立っていた。
ライブ後にヤマハ銀座店の1Fでも売ってた"レコード・コレクターズ5月号"を購入。スカタライツの特集記事が掲載されていて宮崎さんも寄稿していた。
スカタライツ初来日の1989年にはP-FUNK勢も初来日。
ヤマハにP-FUNK好きのバイト君がいて一緒にMZA有明にブーツィー・コリンズを見に行った。7月だった。
9月には同じMZA有明でジョージ・クリントンが初来日。
"レコード・コレクターズ8月号"のP-FUNK特集号も購入。
2冊のレコード・コレクターズは誌面がボロボロになる位読み漁ってレコードを探し回った。
西新宿や渋谷でP-FUNKのアナログをよく買った。CD再発もされてなかった頃だったからパーラメントのアルバムが9800円位。
でもまだDJをするためにレコードを購入してた訳ではない。
DJ SASAが誕生する直前の話である。