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「人生の物語。誰もが持つドラマ」

その1。ハリール(Khalil)の人生。

 DJ Peaceful Qことハリールは札幌で生まれました。彼は、公務員の父親と、室蘭市にある浄土真宗の教えを説くお寺の娘である母親の間に育ちました。母親は服飾系の学校に進学するために札幌へ引っ越し、卒業後は銀行員として働いていました。母親がお寺の娘である一方で、父親はカトリック系クリスチャンでした。後に父親は地方の法務局で登記官の長を務めるほどの人物となり、その真面目で誠実な性格が高く評価されていました。

 晩年、ハリールの父親は膠原病にかかり、認知症も進行していましたが、それでも個人事業主として開いた法律事務所を続けていました。彼を頼って相談に訪れる人々に、現場に即した適切なアドバイスを提供し、いつも優しい笑顔で応えていたのが印象的でした。


 母親が田舎のお寺の娘だったため、ハリールは幼少期の夏休みや冬休みには、札幌から家族とともに母親の実家である室蘭のお寺へ帰省していました。彼はそこでアルバイト感覚で坊主の真似事をしながら、お彼岸などで檀家さんにお経をあげる父親の姿を見て過ごしていました。

 お寺の運営者であり、ハリールの祖父にあたる住職は、天皇陛下から表彰を受けたこともある人物で、地域社会に多大な貢献をしていました。幼少期に、このお寺で過ごした経験は、ハリールのその後の人生に大きな影響を与えることとなりました。

 ハリールのお寺での経験で、もっとも大きな影響を受けたのは、精神的な存在について考えるようになったことでした。お寺での習慣的な祈りの時間は、彼にとってその精神的な存在とのつながりを感じる大切な機会となり、祈ることの重要性を教えてくれました。

 お寺でのエピソードとして、面白いエピソードがあります。

 休みの間、親戚のお兄さんたちと一緒に寝泊まりしているとき、彼等の間で、遊びのルールとして「一人で本堂に行き、お釈迦様にお祈りして戻ってくる」というタスクが決められました。

 本堂には多くの納骨が並んでおり、小さなハリールにとって、そのタスクを実行するのは非常に怖いものでした。

 「みんなが寝ている部屋から一人で納骨堂へ行き、金色に輝くお釈迦様に線香をあげてお祈りをして戻ってくるという遊びがありました。この遊びは本当に心臓がドキドキするものでした。納骨堂にはたくさんの焼かれた骨が収められているため、子供にとって恐ろしくないはずがありません。」

 「私は、納骨堂を駆け足で通り抜け、本堂の一番端にあるお釈迦様が鎮座している場所まで進みました。震える手で線香に火を灯し、お祈りを捧げた後、すぐに走ってみんなが寝ている部屋まで戻ったのを覚えています。」


 父親の宗教であったキリスト教について、ハリールはこう語っています。

「一方で、父はキリスト教徒でしたので、私の家のお墓は市内にあるキリスト教徒専用の墓地にありました。家族でそのお墓を訪れるといつも父が「天にまします我らの父よ、み国が来ますように」と祈っていたのをよく覚えています。また、彼が「私たちの罪をお許しください」と祈っていたので、後に大学で神学部に進学した際に、私は「罪」というキリスト教のコンセプトを自然と受け入れていたことに気づきました。」

 「ただ、実家のお墓でのキリスト教の祈りは、私にとってどこか違和感を伴うものでした。母の実家のお寺に行くことが多かった私にとって、キリスト教の祈りは少し異質で、居心地の悪さを感じさせるものでした」。

 ハリールは幼少期に、キリスト教徒であることを特に意識したことはありませんでした。家族で教会に行くこともなく、休みの日は母の実家のお寺で過ごすことがほとんどだったからです。彼の父は、自分が子どもの頃、教会で友達と英語を習っていた話をよくハリールにしましたが、それ以外でキリスト教を彼に強いることは決してありませんでしたし、日本社会の中では、自分の宗教を人前で自ら進んで語るべきでは無いとハリールに教えていました。

 その2へと続く。。。


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