「億の資産を築いた男が直面した『不足感』とは? 人生に学ぶ本当の豊かさ」ハリールの人生Vol.5
ハリールの人生。これまでは、過去について記してきましたが、今日はこの瞬間に焦点を当ててみたいと思います。
朝、昨日の家族との夕食の食器を洗っていた。ふと、「どうして自分でこんなことをしなきゃならないんだろう?」と感じる。
家にお手伝いさんがいないことに、いつも小さな憤りや悲しみを抱えていたハリールだったが、そのたびに心の中で呟く。「こんな不足だらけの人生を、いつか終わらせたい」と。
ハリールは音楽家であった。その当時は不安や不足の感覚に駆られ、学歴に対するコンプレックスを抱えていた。
だから、社会人ながら大学受験に挑戦し、京都の同志社大学に進学したのだ。しかしそれも、ひとつの「不足感」から逃れようとした結果だった。
大学では留学に挑戦した。関西でわずか二人しか選ばれない、文部科学省の推薦と奨学金を得て、インドネシアでトップの大学に留学した。
それは「海外で生活していない」「外国語を話せない」という劣等感を埋めたかったからだ。しかし、それでも心のどこかで「何かが足りない」と感じ続けていた。
さらに、研究者を目指すも、その道は途中で諦めることとなった。ある日、教授の研究室を掃除している時、給料明細が目に留まった。罪悪感に苛まれながらも彼はそれを見てしまったのだ。
そこに記されていたのは、一流大学の教授でありながら、月40万円程度の手当てだと知った瞬間、彼はこう思った。「これで家族を支えられるのだろうか?」
彼の父親は法律事務所を経営し、毎月数百万円の収入を得ていた。そんな父親を見て育ったハリールは、教授や研究者の給料が、自分にとって「割に合わない」と強く感じた。また不足感だ。そして同時に、彼には家族を守らなければならない責任もあった。
大学に共に進学した妻との間に授かった子どものこともあり、将来への不安がハリールの心を常に掻き乱していた。
「これではダメだ」と決意し、彼は地元の北海道、札幌に戻り、父親の事業を引き継ぐことにした。
そうして彼は努力を重ね、今では「億」の資産を築くまでに至り、借金のない持ち家や、賃貸用のアパートを持つようになった。それでも、彼はどこかに「不足」を感じ続けていた。
ドバイに移住を考え、当地へと出かけ物件を見た時、「少しお金が足りないな」と感じた。そこで、物価の割安なマレーシアを視野に入れて視察に行った際も、3人の子どもたちの教育費を考えると「やっぱりお金が足りない」と悩んだ。
振り返ると音楽家としての収入がほとんどなく、楽器店で月13万円程度の仕事をしていた頃、大学時代には奨学金という名の借金を抱え、日々節約しながらも常に不安に苛まれていた日々。父親の事務所を手伝い始めたばかりの頃は、月16万円程度の給料で、子どもの幼稚園の費用もどう工面しようかといつも不足感に悩んでいた。
今、目の前にある莫大な資産。それでもハリールの心は落ち着かなかった。「こんなにも資産があるのに、なぜ私はまだ不足を感じるんだろう?」と、ようやく、心の奥底から疑問を抱くに至った。そうして、その感情を手放したいと切に願った。
その時、これまで読んできた宗教書やスピリチュアルの本の教えが、本当の意味で理解できた。「不足である現実は仮想であること」「豊かな存在であることを思い出し、それを選択すること」「無限の豊かさを取り戻したいと心から願うこと」「豊かさを感じること」そのシンプルな教えの重要性に本当の意味で気づいたのだ。
次回は、どのように豊かさを感じ、感謝を実践していったのかについて語りたいと思います。Vol.6に続きますので、どうぞ、お楽しみに。