インドの楽園 Navdanya
突然思いついたインド滞在
去年の春頃、ふと、インドに行こう、と思った。でも私はインドに関する何の知識も情報も持ち合わせてなく、さあ、どこに行こうと思ったのだが、私はどうにも都市の旅行は好きではないことはすでに分かっていた。
東南アジアとアメリカの色んな都市を旅行してきたが、どこも空気は汚く、街にはゴミや瓦礫、ヘドロだらけで、騒音がすごく、大量生産商品ばかり売られているし、街でできるアクティビティに興味もない。
だけど、自然豊かな田舎はそんなはずがないことも知っていた。そこにはローカルの文化があり、その土地の気候や環境に合わせた作物や建物や人々の暮らしがあり、水や空気は綺麗で、人々はそれらを大切にしながら、それらと共に生きているはずだ、と。
インドにもそういう場所があるはずだと思い、見つけた場所がNavdanya Farm。
偶然にも、ルームメイトのお姉さんが、この農園のことを知っていて、Navdanya創設者のVandara Shivaという女性の本を貸してくれた。インドの旅はここで決まりだと思い、訪れることにした。
インドのカオスに絶望した
今回Delhiに到着して、初日から街のカオスにやられ、2日目の移動日には呆気なくぼったくられ、3日目には大気汚染で身体をやられた。
道中どこを見ても、本当に汚く、インドには綺麗な空気も水も土地もないように感じて絶望した。
人々は、旅行者と見ると、テコでもOver Chargeをしようとする。換金するにもレートは悪く、交渉しても断られるだけだから、仕方なく飲み込むしかなかった。
タクシーも荷物を運びながら、3〜4人に話しかけて、向こうは幾らでいけると言ってくれた、と交渉を繰り返すものの、それでもUberで見る料金の2倍の値段でいいところだった。Uberは空港あたりでは機能したが、他の都市では配車されなかった。私の名前を見て旅行者だと判断し、その料金では配車するのは損だと思ったのかもしれない。
多額を払った運転手にも途中で降ろされたり、この人は信用に足る人か、見極めながら目的地まで足を運ぶことが、私を一層疲れさせ、Navdanyaに着いたときには、心身ともに疲れ果てていた。
それでも信心深いヒンドゥー教信者の良きタクシードライバーに巡り会え、フィーはそこそこしても、英語で会話できて、確実に目的地まで安全に送ってくれる人に会えたことはラッキーだった。(それも途中で降ろされたことで会えた人だから人生とは何とも言えない巡り合わせだ)
Santoshというドライバーさん。ヨガの聖地Rishkesh辺りに行く方は紹介しますよ。
Navdanyaでようやく得られた心の安らぎ
3日目にはNavdanya Biodiversity Farmに到着した。
Navdanyaはインドの楽園だ。
あたりは緑に囲まれ、空気は澄んで、空は青い。地中から水を汲み出すから、インドなのに水道からの水を飲んでも何ともない。
体調が悪い私をハーブ園に連れて行き、そこでバジルと生姜とAPRAJITAという木の葉を摘んでくれ、お湯に入れて飲むといいと渡してくれた。このハーブティーに救われ、喉痛、頭痛、悪寒、発熱、嘔吐で心が折れていた私も翌日の朝には全快した。
その後、農園のツアーをチャンドラジー(ジーは敬称)がしてくれた。この木にはこういう効能がある、この花にはこういう効能がある、というのを一つ一つ、一見雑草に見えるものまで紹介してくれた。
飲み水や食事は本当に美味しくて安全で、その重要性を心の底から実感した。
Navdanya農園の姿はとても平和だ
農園の人々は、いつも微笑み、緩やかで、オープンマインドである。働き過ぎているわけでもないが、農園は隅々まで綺麗に整備されている。
犬や猫は放し飼いで自由に走り回るが、とても人懐っこく、人影を見ては擦り寄ってくる。全くストレスがない印象。
鳥達は色んな種類がいて、色んな鳥の声が一日中聞こえている。
朝の30分はSharadaanという時間があり、施設の掃除をみんなでする。素敵な習慣だと思う。日本では小学校や中学校では掃除の時間があるが、大人になるとなぜかその習慣はなくなってしまう。なぜだろう。
1日に2回のChai Break (チャイ休憩)があり、それとは別に昼休憩が2時間ある。
農園の人々は、畑の世話をし、牛の世話をし、時期が来たら収穫祭の準備をするそうだ。
後のブータン旅行でも感じたことだが、信心深い生活というのは美しい。
1日24時間のうち、30分でも献身に努める。
朝晩2度だけでも祈りを捧げる。
それだけでも、地球にとっての人間という生き物の有り様は大きく変わるだろう。
そういう謙虚さを体現しているからこそ、彼らは不平不満を垂らすのではなく、笑いと他者への思いやりを絶やさないのだろう。
休日はバレーボールとバドミントンで遊んで、平日は裸足になって畑の手伝いをした。
釜戸で火を焚いたり、コンポストを使ってガスを発生させキッチンで使ったり、太陽光を使ってお湯を沸かしたり、本当の意味で自然の力を活用している。できる限り、自然を破壊しない工夫が散りばめられている。
Earth Democracy(地球民主主義)を唱えるVandana Shivaさん
創設者のVandara Shivaさんは学生時代から自然を守る活動に参加してきたそうで、その経験を経て、「種を守る」ことを目的にNavdanya Farmを開設したそう。
私の自然農の師匠の、そのまた師匠である福岡正信さんも生前訪問し、レクチャーを施したらしく、日本人も年間20〜30人訪れるとのこと。
彼らのSeed Bankと呼ぶ施設を見せてもらった。なんと1000種を超える種を貯蔵しているそう。今や、種さえ自家採取が禁じられるようなグローバリゼーションが押し寄せている時代だ。この農園の国家的意義、世界的意義はとてつもなく大きいと感じる。
本来の多様性と循環を見直したい
地球は多様だからこそ循環している。そこが分からないといけない。そして本当の意味での多様性は地球が生み出してくれる。決して人為的に管理し、操作するものではない。そこが分からないといけない。
農薬や除菌滅菌、遺伝子操作、不動産開発などなど、現代の我々の”当然”は、生物多様性を尽く潰しているにも関わらず、私たちはなぜか多様性は大事だと唱え、自身の生活を省みるまでには至らない。本来的な多様性は、地球を観ることから始まる。
ここには、生物的文化があり、食文化があり、言葉の文化があり、宗教的文化がある。日本とはどれをとっても全く異なる。なのに、自然に囲まれているからなのか、こんなにも平和を感じる。安心と安全を感じる。
反骨精神についても捉え直すことができた
本当の反骨とは、都市のスラムで発生するのではない。都市のスラムでバビロンたちに反逆していた者たちも、結局は資本主義社会における成功、つまりは金、権力、名声なんかを得て、変わってしまった者ばかりではないか。
本当の反骨とは資本主義の反対方向にある自然回帰の中にあるかもしれない。
それは一見、地味で貧しく見えるのかもしれないが、力強く、豊かで、創造力と叡智に溢れている。資本主義が提示するエサに中指を立て、地球が何十億年もかけて育んできた生命に敬意を示す。
そこには確かな豊かさと安全がありながら、タフでワイルドな生命力と、困難や過労を乗り越える知恵がある。そこには、音楽があり、ファッションがあり、ハレとケがある。
本当の反骨とは、資本主義社会の中で上手くやっていくことでも、資本主義に反抗しながら文句を垂らすことでもない。
その枠から抜け出して、自然が与えてくれるとてつもない恵みと人間の持つ創造力と愛をフルに活かして、真のピースを地球上に創り出すことだろう。
先日興味深い論文を読んだ。
人間が愛情をかけて育てたラットには利他の心が生まれるという。
この実験もまた可哀想なものなのだが、実験結果は興味深いものだし、私が長年信じてきたことに即していた。
『人間に愛されて育ったラットは正義感と善悪判断を芽生えさせる』
惜しみない愛をあらゆるものに与えることで、あらゆる生命に利他の心、すなわち愛が育まれ、地球はピースな世界となる。
それこそが人間の役目であり、創り出すべき世界だと考えてきた。
自然は弱肉強食なんかではない。虎の狩りは5〜10%程度しか成功しない。強いからといって、他を食い滅ぼす運命を持っているわけではない。
自然は愛を基にした循環である。自分の生命は他の生命の犠牲の下にある。だから感謝と謙虚が大切なのだ。人間だけの眼差しで世界を見てはいけない。私たちに豊かさを与えてくれているのは、紛れもなく、人間以外の生命たちだ。
今日あなたは何を食べた?
何の力で暖を取った?
私たちが生きているのは生命のお陰でしかない。
そんな彼らにどんなお返しができるのか。今日生かしてもらって、私は何ができるのか。
そんな風にこの世界とこの命について考えて生きていきたい。
その決意と確信が深まったNavdanyaの旅だった。また訪れたいと切に願うし、温かく迎えてくれた人々に何か恩返しをしたいとも思う。また日本にも同じように文化を継承し、平和と循環を試みる場所を創りたい。