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空が大きく見えたのは。

インドアでネイチャーラブ。

僕は普段デスクワークで東京の下町のオフィスで働いている。(陽当り△な座席)

元々インドア気質な僕にとってデスクワークが生業であることはとても幸せな一方で、インドアであると同時にネイチャーラブというわがままな気質につき、たまに猛烈な自然浴に襲わる。

昨日今日は久しぶりに外出で、昨日は埼玉、今日は四国へ行ってきた。

空が大きい。

埼玉にて

空が大きい。駅から外に出てまっさきに思った。

空が大きいなんて今にはじまったわけじゃなくて、あたりまえのことなんだけど、「知っている」「感じられる」の間には大きな隔たりがある。

かつて空が大きいことは感じないことはなかったであろう僕たちだけど、空が大きいことを忘れるくらいに、ビルや建物は空を覆ってしまった。

徳島にて

北海道で生まれ育って。

地元、北海道十勝ですごした18年は、朝は野鳥の鳴き声で目を覚まし、雨の日はしけったような匂いのする山の草が少しくさいなと思いながら目をさますような日々だった。

そんな環境ですごした僕から見るとにとって、今過ごしている街はまるで灰色のフィルターを通して見たように空気がにごっているように感じられる。

おおげさだって思われるかもしれない。神経質だって思われるかもしれない。

だけど地元に愛着や思い入れがそんなにない僕でさえこの違いには敏感になってしまう。「この身体は確かに十勝産である」ということに無自覚ではいられなくなる。

どの景色も十勝で出会った景色たちだった。

・夕焼けに染まった空
・堤防からながめる河川敷
・公園の山に寝っ転がって見上げる雲・見切れるほど続く田んぼ道

思い返すと自分が好きな景色たちはどれも十勝で出会ったものだ。

そんな地元の空気や景色が時々恋しくなって帰りたくなる。だけど僕は東京という街が、というよりそこで暮らす人たちが好きなのだ。

東京は住む街じゃないといわれたりする。だとすると、ここに住んでいるのはわざわざ東京に住んでいる人なんだと思う。わざわざ集まった人たちが暮らす街。それをとっても魅力的に感じるのだ。だからしばらくは住み続けると思う。

東京にいながら、自分の大好きな景色に出会えた時(再会したときの方が正しいかもしれない。)とてつもなく嬉しい気持ちになる。幼なじみの親友と再会したような気持ちになって胸がほんのりあたたかくなって、きゅっとする。

だから、東京に住み続けながらも昨日や今日のように普段感じられない自然を感じる時間を大切にしたい。そんな時間がおとずれたときはその瞬間を大事に大事に噛みしめていきたい。

冬の終わりに大空の下で受け止める風は、まだ肌寒さはあるけれど、きもちよかったなあ。

東京で再会した景色たちの紹介。

河川敷

河原

オールナイトフェスの終演時

夕焼けと堤防

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おさやん
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