ジョージア隔離生活 四日目

*2018年から日本の家で活動していたYくん、昨年から次なる"日本の家"を立ち上げるべくコーカサス地方、ジョージアへ旅立ったKさんを追いかけて同じくジョージアへ。訳あって4月にライプツィヒに戻ったところコロナロックダウンに合いジョージアに帰ることができなくなってしまいました。4ヶ月のライプツィヒ滞在を経て8月、ジョージアへの入国許可が出た!とみんなの期待を背負って旅立ったのですが、そこへ待っていたのは2週間の隔離生活でした。そんな隔離生活の様子を毎日noteでレポートしてくれます。

トビリシの朝は綺麗だ。山々が朝日を浴びて、遠くの山のうねりまでよく見える。その麓に見える街。古き面影を残す山。昔はもっと綺麗に幻想的に見えた事だろう。
徹夜明け、八時半。目を閉じる。
隔離生活四日目、木曜日。

屋上に上がると、一人、長い髪の女が立っていた。地上二十三階建てのホテルの屋上。長い髪が風になびく。
「こんにちは」と自分は声を掛けた。女は長い髪を耳にかけながら、警戒した眼差しでこちらを見た。「こんにちは」と女は小さく返した。
世界中の意識にこびりついたウイルスのお陰で、人もこのアジア人には冷たくなったなと思い、
端っこに行って煙草を巻く。
幾分風が強く、煙草が巻きづらい。すると女が近づいてき、水筒を差し出し、「珈琲は飲む」と聞いてきた。「もちろん飲むよ」と受け取り、笑顔になる自分。
「名前は」と自分。「珈琲ありがとう」
「ケティよ」と女。「貴方は」
「ヤマト」と自分。「君は煙草吸うかい、これしか今は返せるものがない」
「いえ、私は吸わない」と女。「お父さんが好きでよく吸ってた。肺がんで死んじゃったけどね」
「そうかい」と自分。それ以上会話はなかった。

そんな夢を私は見た。
目を開けると、十二時。背中の痛みは程々に治まっていた。
お腹はまだ緩いが、旅疲れということにしておこう。外に出たい思いがそんな夢を思い描くのか。
はたまた、ハードボイルドな漢成りたい故なのか。

お昼、渦の家に居る先輩Kさんから電話が鳴る。
ちょくちょく暇している私を思って連絡してくれる。何か必要なものはいるかと。後ろで子供がはしゃいでいる声と水しぶきが立つ聞こえる。渦の家にはプールがあり、子供の遊び場になっているようだった。
楽しそうだ。夏を楽しんでいる。聞こえないはずの蝉の鳴き声が遠くで聞こえる。遠く東の方ではまだ元気よく鳴いているだろう。

一日でも早くその場に居て、共に夏を楽しみたい。ホテルの地上二十階、窓の外、南東方向を眺め、想いを馳せる。

確かに暇で仕方がない。よく滑る回転いすで部屋中をグルグル転がりまわっている。とはいえ、前へ後ろへと、ピストン運動しかしていない。膝の筋トレにもちょうどいいかもと思いもしたが、面白くないので、ほとんど腕で操縦している。

短い廊下に転がり込み、そこで天井を見上げ、ぼおーっとしたり、やって来るご飯に心を動かすか、夜景か朝焼けを眺めるしか、楽しみがない。
夜景なんて眺めたって、心には冷たさしか残らないし、見るならもっとすごい東京の眠らぬ街でも眺めていたい。まだ見たことないが。それでもこれもまた一興かと楽しんでいる。まだ病むには至っていない。こんな事ぐらいで病む程に、引きこもりをしてきたわけではない。

ホテルとは言え、ここは刑務所の様だ。
毎度、ご飯は扉の前に置かれ扉がノックされる。急いで毎回出るのだが、人はもうそこにはおらず、ポリ袋に入ったご飯が地べたにあるだけ。三日か四日に一回、タオルやトイレットペーパーの入った袋も届けられる。
そう言えば、電話もつながらず、歯ブラシが欲しくて置手紙をしたのだが、それも全く効果なかったな。紙についてるウイルスなんて手を洗えば済む話だと思うのだが、、、
それにわざわざゴム手袋までしてるのだから、もっと気を緩めてもくれても良いか良くないのか。

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