②サンスケさんの、そばにある1曲
【「①サンスケさんを育ててくれた街は?」から続く】
では2つ目の質問で、サンスケさんのそばにある大切な1曲って何でしょう?
そうだねぇ…(としばらく考える)、バッと思い浮かんだのは、もう亡くなったけどレゲエとかロック・ステディのシンガー、アルトン・エリスがカヴァーした「ムーン・リヴァー」かな。
「ムーン・リヴァー」は誰もが知る曲ですが、そのカヴァーを選ぶとは?
ボクはレコード屋でもあるけどDJでもあって、自分のスタイルに一番しっくり来る「ムーン・リヴァー」が、アルトン・エリスなんだよね。元々はヘンリー・マンシーニが作った曲だけど、「ムーン・リヴァー」という楽曲そのものが好きなんだろうし、「ティファニーで朝食を」(映画)で(オードリー・)ヘプバーンが歌ってるのも良いんだけどね。
この曲に出会ったのはいつ頃?
20代後半とか、30代かなぁ。昔、浜町ホール(群馬県太田市)っていう大きいハコ(=クラブ)があって。90年代の終わりぐらいかな、本当に数年しかやらなかった伝説のクラブなんだけど、そこは須永辰緒さんに言わせると“日本で5本の指に入る”クラブで。そこに遊びに行くと流れてたんだよね。
ボクは今、SKA FLAMESの鍵盤奏者・長井(政一)さん、ダブのマエストロ・MIGHTY MASSAとしての一面も勿論ある方と、あらゆるジャンルの50~60年代・ヴィンテージの音楽をかける「MONSTER GROOVE」っていうイベントを一緒にやってるんだけど、長井さんのイベントだった…のかな?とにかくこの「ムーン・リヴァー」がずーっと、忘れられなくて。
それでレコードを手に出来たのは本当に何十年越しで、茨城のレコード屋さんがボクにくれたの。“これはサンスケ、お前が持ってる方がいい”って言って。前に“このレコード、ないですか?”って探してたのを覚えててくれたのかもしれないけど、私物を譲り渡してくれたんだよね。
じゃあ今、サンスケさんのDJプレイでこの曲も流れると。
もちろん、もちろん。今年のフジ(ロック)だったか、朝霧(JAM)でも流したよ。
DJプレイの1曲にもすごくストーリーを感じますね。
そう、本当に物語だよね。レコードって、人から人の手を渡ってやってくるものなんだよ。それが面白いのかもしれないなと思ってて。ギャズとジェイソンのメイオール兄弟・ギャズもうちの店に来てはレコードを探して、買ってくれるんだけど、カンが良いからカウンターの奥にあってちょっとしか見えてないレコードを“サンスケ、あれは何だ?”って。ボクは売りたくない、家宝にしようと思ってたレコードなんだけど“何とかあれが欲しい”って。ボクが“これは売ろうと思ってないんだよ”って言っても、どうしてもって言うから“じゃあギャズ、何かとトレードしない?”って言ったの。そしたらクリスマス頃に手紙が届いて、“弟(=ジェイソン)が2月に日本に行く、俺がサンスケに選んだレコードを託したから”って、それを受け取ったことがあったりさ。
ちなみに、サンスケさんが家宝にしようと思ってたレコードとは?
トリニダードの60年代・カリプソのレコードだね。その弟のジェイソン(フジロック等を主催するイベンターSMASH・ロンドン)も、この間ボクが朝霧でかけてたレコードを“欲しい”って(笑)。“これは俺が持つべきレコードじゃないかな?”とか、すごいこと言うんだよ(一同笑)。伝家の宝刀的に価値があるレコードだし、その時はさすがに“それは待ってくれ”って言ったんだけど、結局、ジェイソンとトレードすることにしたんだよ。次に会う約束はなしにね(笑)。
1曲に対してのエピソードが熱いですよ、この時代に!
でも、レコードが好きな人って熱いよね。それはPCとかデータを使ってDJをしてる人とは違うかも知れない。この間も、CDとかデータでDJする人が“俺はこのジャンルを今プレイしてないから後輩にプレゼントしたよ”って。1000曲ぐらいあげたって言うんだよね、レコードをかける方からすると感覚が違ってビックリするんだけど(笑)、でもレコードをかけない人からすると、ボクたちをどう思うのかなぁ。
大物のDJの方でもボクのレコードバックを見たりする時があるわけ。それで“ちょっとこのレコード、売ってくれないか”とか言われたりするんだけど、実際、ボクが持ってるよりもギャズやジェイソン、須永さんが持っている方が良いなって思う時はあるんだよ。現役でやってるスゴいDJの方から“このレコードが欲しい”って言われるのは、やっぱり誇らしいことでもあるからね。
長年培ってきて関係も出来て、苦労して海外から輸入して買うレコードもあるんだけど、やっぱり、海外から渡って来たものをちゃんと、宇都宮のウチの店に来る人に手渡したい。レコード“店”だから、店頭で売ってそれを、この街に根付いた人たちに広めたい。もちろん福島から買いに来たとか、そういう人にでも。店で売りたいなって思ってる。ちゃんと対面でね。
でも荷物の部分でもデータで所有する方がはるかに楽だと思うのに、アナログ・レコード盤でDJを続けるのは…答えがもう見え隠れしているように思いますが(笑)、なぜでしょうね?
それしかやってこなかったから、単純にそれしかわからないんだよ(笑)。レコードの面白いところってやっぱり…レコードをかけてるDJっていうのは人の曲をプレイしてるでしょう。それを、セオリーは色々とあって起承転結だとか色んなことを大事にしながら、その場で物語を作ってる。DJって、言ってしまえばそういうことじゃない?でもレコードって、それこそ情報がない時代にボクが買ったレコードだとか、本読んで買って聴いてみたら“全然違うじゃないか”とか外しながらとか、弟の小遣いを借りてまでレコード買っちゃったとか(笑)さ、そういう物語があってさ。
自分の知識とかセンスとか器量とか、全部ひっくるめてそれがDJとして出るっていう持論があるからさ。お金が必要でレコードを売って手放して、また買い直したりとかもしてるダメな部分とかもあったりするんだけど(笑)、でもそういうことも多分、レコードをかけている人の色気として出るわけよ。そういう部分をちょっとでも面白く思ってもらえたら良いなって思ってDJをやってるんだけどさ。その人の選曲に生き様が表れるのがDJで、レコードをかけるDJだと人間としての面白みも見える。“カッコ良いからダウンロードしてプレイしよう”っていうのは近道だけど、ボクらはそうじゃないからね。レコードも、音楽も、全て出会い。音に出会ったところからディグして、探して、ゲットするっていう。この手段を経なきゃいけないっていうのがレコードのDJなんだよね。
“選曲に生き様が表れる”、名言です!
いや~、でも先輩とかがこのインタビューを読んだら“お前、何言ってんだよ!”って笑われそうだな~(一同笑)。でもそれが、レコードでDJをする理由、かな。
ちなみにサンスケさんが、DJとして憧れた方っていうのは?
それはもう、たくさんいるね。たくさんいるから挙げられないけど、ギャズ・メイオールは先生だね。ボクがギャズを知った時はザ・トロージャンズっていうスカのバンドだったんだけど、R&Bや古いブルースのセンスがあったりする中にバグパイプ・ケルティックでアイリッシュなニュアンスが入ったバンドをやってて。バンドとしても良いんだけど、DJとして世界中のあらゆるジャンル・カリビアンやR&Bもそうだし、スカとかレゲエ、ロックンロールのルーツと呼ばれる40年代の古い黒人のジャンプ・ブルースとかさ。あらゆる世界のダンスホール音楽を網羅したセレクトテープを当時、売ってて。それに出会った時がもう衝撃的だったの。ボクにしてみればギャズが自分の方向性を示してくれたんだろうな、って思うよね。
【「③サンスケさんが大切にしている言葉」に続く/12月20日更新予定】