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「中年の危機」が10年遅れでやってきた。

結論から申し上げると、「サブカルをこじらせると、ミッドライフ・クライシス…いわゆる『中年の危機』が、10年遅れてやってくる!」のである。
これは本当。心底実感、痛感した。

「ミッドライフクライシス(中年の危機)とは、人生の中頃を迎える40代~50代の頃に、自分のこれまでの人生やアイデンティティについて問い、葛藤したり不安を感じたりする時期のこと」だと言われている。
「第二の思春期」とも言われているらしい。
会社での出世もこれ以上見込めなくなった中間管理職の男性であったり、我が子が親元を巣立ち子育てを終えた女性であったり、置かれている状況は千差万別だが、「自分の人生、このままでいいのか?」「これからの人生、どうしていったらいいのか?」と悩み、虚無感や焦燥感に囚われる状況だそうだ。

今、自分が直面している悩みは、まさにこれに当たるのではないか。

このnoteの以前の投稿で、「南米放浪記」と幼少期の振り返りをひと通り書いてしまった後、すっかり更新が滞ってしまった……と書き、記事の投稿を再開しようと決意した日の記事から、さらに1年が経過してしまっている現在。

その間、18年弱勤めた職場を思い切って退職し、失業保険給付期間中に、転職活動ではハローワークや東京都しごとセンターに何度も足を運び、個人事業主としても仕事ができるようにと開業準備で区役所の経営相談を受け、職業訓練校に通いWEBクリエイター能力認定試験に合格、同時に東京都が開いている無料のオンライン講座の「WEBデザイン科」を修了、ITパスポートを受験するなど、忙しくしつつも今後の自分の人生について考え直す時間を持てたのは良かったが…。

具体的に行動した事の諸々は、追って個別に書こうと思っているが、全体的にこの1年は試練の年だったと言っていいだろう。

とにかく「50歳過ぎてからの転職」というものに苦戦した。苦戦どころか、こんなに絶望的なのかと思い知らされた。

長年、DTPオペレーターとして印刷会社に勤務。正社員と派遣でほぼ単年ごとに数社を渡り歩いた後、印刷業界最大手のところに落ち着いてからは18年弱。いつしか職場を変えるということを思いつきもしなくなっていたほど、安定していた。
もともと飽き性の自分だが、ここ10年以上は週刊誌を担当し、曜日によって勤務地となる出版社内の出張ルームが異なることもあったし(火・木は○○社の『週刊○○』、土曜は「××砲」でお馴染みの『週刊××』…というふうに)、毎週毎週新たな話題を扱えたので、作業内容は同じでも、そのときの気分は変わるので、退屈せずに仕事に取り組めてきたのだった。

MacでAdobeのInDesign、Illustrator、Photoshopを使用する業務なので、いちおうコンピュータを扱う技術職と言えるし、今ではグラフィックソフトの使いこなしなんて、そこまで特殊な技術でもなくなってしまったが、なにしろこの業界に入った頃はまだ手仕事分業、ちょうどデジタルに移行しようとしている過渡期だったので、その頃から四半世紀のキャリアを積んでいる。

紙媒体が売れなくなっている印刷不況の状況とはいえ、手に職があれば、次の仕事に困ることはないだろうと、正直高をくくっていた。

いざ3月いっぱいで長年勤めた職場を離れることになって、その月のうちに数社の面接を経て次の派遣先を決め、翌週からはすぐに次の職場に勤務するつもりで動いていたのだが、退社日が近づくにつれ、どんどん雲行きが怪しくなる。

それまで所属していた派遣会社には無期雇用契約にしてもらっていたので、派遣法改正で3年以上同じ職場にいられなくなったルールの適用からも外れ、同じ職場に長年勤められていたのだが、自主的に退職するとなると、その派遣会社に退職願を届けて、無期雇用契約を解消することになる。そうしない場合は、次の職場を選ぶ権利はなく、派遣会社が指定するところに行かざるを得ない。
担当の営業からも「(せっかく無期雇用で安定しているのに)本当にいいんですか?」と軽く脅されたが、その職場を辞めることになったいきさつの途中でも、その担当営業と意思の疎通がうまく取れていなかったということもあったので、いずれにせよ次の職場は違う派遣会社からと決めていた。
そもそもは職場内での担当配置換えを望んでいて、「雑誌の廃刊も続き、紙媒体の先行きに不安を感じているので、電子書籍などを扱う業務に就きたい。」というこちらの意向に対して、退職するのではなく、今の職場内での部署異動で新しいスキルを身につけたらどうかと提案してきたのは、派遣会社の営業のほうなのだ。
それで年明けにも違う職場でと思っていたのを年度末まで契約を引っ張られたあげく、「今現在、そういう(デジタルメディアを扱う部署での)募集は無いそうです。」と、はしごを外されたような形になってしまった。
その事情を考慮すると、失業給付に制限期間が発生する「自己都合」扱いにされたがそうも言い切れないのではないか、と今になって思うが、その時はすぐにでも次の仕事を決めたい思いが勝り、退職願を提出してしまった。

蓄えに余裕がない自転車操業の家計のため、退職して翌日からでもすぐに働くつもりでいたが、数社登録している派遣会社の募集を毎日チェックし、片っ端からエントリーしてみるが、「社内選考の結果、今回はご紹介を見送らせていただくことになりました。」という返事のメールが届くばかり。
せめて面接した上で断られるのなら、そこの会社とマッチしなかったのだと諦めもつくが、派遣会社が「この人材は紹介できない」と事前に判断している状況だと知って、そこで初めて「50歳オーバー」の自分にニーズが無いことに気付いた。

そこから思うようにならない状況が続く。
次に働き始めた職場では2ヶ月経った時に、派遣先から「契約の延長を望まない」と一方的に通告され、さらに次の職場ではパワハラのような仕打ちを受けて1ヶ月も保たなかった。

長期勤務を希望した派遣先が、立て続けに短期で終了したのは、さすがに心身に堪えた。
不幸中の幸いは、直近の契約が不本意な形で終了したため、派遣会社が「会社都合」で離職票を出してくれたので、失業給付をすぐ受けられるようになったことだった。
3月まで長年勤めた職場の分も併せて、給付期間が約1年あった。
ここは焦って次の仕事に就いて、また同じことの繰り返しになってしまわないように、長期勤務できるところをじっくり探すのが良いのではないかと考えた。
その時はまさか次の職場に勤務するまでに、ほんとに1年かかるとは思ってもいなかったのだが。

いろいろ無駄の多い人生であることは自覚している。
仕事といっても、アルバイトの延長のような感覚のまま派遣社員になって無目的に続けてきただけで、計画的にキャリアを築いたわけでもない。未だに時給換算でないと自分の稼ぎを把握できない有様だ。

転職サイトなどの広告を鵜呑みにして、「新しいチャレンジを始めるのに遅すぎることはない!」みたいな言葉に乗せられて、いざ辞めてみたら「遅すぎた」じゃないか!
やっぱり「40代」と「50代」では全然違うというのが実感だ。
悔やまれるのは「もう2~3年早く決断できていたら…。」ということだが、これはコロナ禍も無縁ではなく、あのコロナ禍の間だったからこそ、これからの働き方について考え直したところも大きかったので、まあ仕方がない。

それにしても、この危機に直面するのが自分は人よりちょっと遅くないか?
企業で出世して役職に就いた同級生と比べるまでもなく、普通に社会人として生きていたら、40代のうちに自分のキャリアについて考え直さざるを得ない状況は訪れるだろう。
結婚して親となり子供を大学まで出させた同年代と比べるまでもなく、普通に家庭人として過ごしていたら、40代のうちに自分の生きがいについて考えるものなんじゃないのか。

「そんな人はいないんだよ。」と慰めの言葉をかけてもらえたとしても、やはり自分には周りの人が、ひと通り「その手の悩み」に直面する時は終えて、ある程度の確信と諦めとで自分の人生と折り合いを付けられているように見える。腹をくくっているように見えるのだ。

未だに「いつか小説でも書こうかな。」とか「今作っている曲がヒットしたりしないかな。」とか「ボイトレ続けてたら『歌ってみた』動画でも撮ってバズらせたりできるかな。」「社会人入試受けて、もう一度大学生やりたいな。」とか夢想し続けて、自分がもう50歳過ぎていることを忘れている。いや、目を逸らしていると言ったほうが正しいか。

モラトリアムが長いのよ!
さすがにそれは認めざるを得ない。そして今置かれている状況が、人より10年遅れていると感じているのであれば、それは実際に人よりモラトリアムが10年長かったということなのである。
それはいつか。
田舎(鹿児島)から上京して、東京のカルチャーに触れた90年代。
UKロックや渋谷系の音楽に心躍り、「クロスビート」や「ロッキンオン」を毎月チェックして、輸入盤屋や中古盤屋でCDを買い漁っていたあの頃。
村上春樹や村上龍の新作を楽しみにしつつ、ブックオフで「STUDIO VOICE」や「Esquire」のバックナンバーを買い集めていたあの頃。
みうらじゅんや山田五郎やいとうせいこうやピエール瀧のような面白い大人になりたいと憧れ、中野ブロードウェイに入居したいと願っていたあの頃。
その間、住み込みの新聞配達員、コンビニ店員、バーガー店員、カラオケボックス店員、不動産仲介業者の営業など、30歳になるまで職を転々とした。
…なんだ。俺、90年代まるまるモラトリアムやないか!

そりゃ「中年の危機」に直面するのが、他の人より10年遅いわな。
あえて一般論にまで拡大して面白がるしかないから、もう一度言います。
「人はサブカルをこじらせると、中年の危機が10年遅れてやってきます!」
自分と同じような傾向の方は、どうかお気を付けください。
…気を付けたからといって、どうにもなるもんでもないけれど。

これからこの「ミッドライフクライシス(中年の危機)」をキーワードに、自分がこの1年で考えたことを書いていきたいと思っています。
しかし「いかにして私はこの危機を脱したか」という内容にはなりません。
今現在もこの危機から抜けられた気がしていないからです。
サブカルを拗らせるということは、自意識過剰の自家中毒に陥ることでもあり、「中年の危機」と生涯向き合い続けることなのかもしれません。
いや、ぞっとしないね。


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