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「ヒバリのこころ」を5万3千円で売った話。

上京してから約30年、常にスピッツと共に歩んできたという思いがある。

鹿児島の高校を卒業後、新聞奨学生として毎日新聞の販売店で働きながら予備校に通い大学進学を目指すことにした19歳の自分。

早朝に寝ぼけまなこをインク塗れの手で拭い、夏は汗だく冬は歯をガチガチ鳴らしながら都会の路地裏を駆け回る日々。

仕事中はウォークマンで音楽を聴きながら気を紛らわせていないと、やってられなかった。

上京前まで好んで聴いていたのは、佐野元春や尾崎豊などで、いわゆるティーンエイジャーが感情移入しやすいロック。数ある音楽から主体的に選んでいたつもりだったとはいえ、地方まで届いてくるのはメジャーカンパニーのきっちり全国展開された商品で、それを遅ればせながら手に取っている感じは否めなかった。(辺境にまで流通する、そのタイムラグを甘く見てはいけない。なんつったって昭和は。)

それが最先端の情報が集まる東京にやって来れて、何も知らないところから、いちから自分で見つけて選び取った気がしたバンドがスピッツだった

その頃の数少ない楽しみのひとつが中古CD漁り。金銭的に余裕が無かったので、CD1枚買うにも中古盤屋をくまなく回り、暇さえあれば新入荷のコーナーの値段をチェックすることだった。

最初に見つけたのは職場の同僚の〝シャチョー〟だった。(同じ販売店で働く新聞奨学生の同期のあだ名。早朝4時くらいから配り始めないと間に合わないのに、彼は起こしても全然起きて来なくて、6時くらいからようやく配り始める。「今日も社長出勤かい!」とツッコんでいたので〝シャチョー〟と呼ぶようになった)

まだ御茶ノ水にディスクマップがあった頃だ。地下に降りていく階段の上に電車の中吊りのような細長いポスターが貼ってあった。赤いバックにグニャリと歪んだ猫の写真に「『名前をつけてやる』11月25日発売!」の文字が載っていたんだと思う。たしか。

それを見てシャチョーが「いや、オレこのスピッツってバンド、絶対いいと思うんスよねえ。」って言っていたんだよな。

「えー、知らない。どんな感じなのかも、ちょっと想像つかないなあ。まあ、『ユニコーン』とかバンド名はダサいほうがいいって言うからねえ。」みたいな受け答えをして、その時の自分はまだピンときていなかった。

数日後、「名前をつけてやる」を買ったシャチョーがカセットに入れてくれて「とにかく聴いてみてくれ。」と。

その時、音楽好きで意気投合していたもう一人の同僚〝イッシさん〟と自分に薦めてきてくれた。

初めてテープを再生して「ウサギのバイク」のイントロが流れてきた時の高揚感たるや。そしてそのまま全部聴いた後の「なんじゃこりゃあ、全曲名曲やないか〜!」という興奮。あの時の感じはいまだによく憶えている。

3人で「いや、スピッツまじ良くない?」という話を、折り込みチラシを新聞に挟み込む作業などをしながら、それからしばらくの間は毎日のようにしていたと思う。

それを横で聞いていたタカハシさん…この人はもともと新聞奨学生をやっていたのだが、大学を卒業してもそのまま専業の配達員となった人。福島のなまりが抜けない朴訥とした口下手な人だったのだが、珍しく我々の話に口を挟んできて…

「なんだ、おまえらスピッツ知ってんのか。」

「えーっ!タカハシさんこそ、なんでスピッツ知ってるんすかぁ?」

「俺、ハマショー(浜田省吾)好きなんだけどよ、ハマショーのマネージャーやってた高橋信彦っつーのが新人バンド手がけるっつーから、買ってみたんだけどよ。ハマショーと全然違うじゃねえか。」

「えーっ。俺らまだ2ndしか聴いてないんすけど、1st持ってたりします?」

「あ、なんだ。もう2枚目も出てんのか?」

…という会話がそこでなされ、タカハシさんから最初のアルバム「スピッツ」を借りて聴き、「いよいよこれは本物だ。何だ、この曲の良さは!」とさらに盛り上がることになったのだった。

同じ新聞販売店で、同時に4人の男がスピッツを知って盛り上がるということが、当時の状況からしても、かなり珍しいことだったはずなのだが、さらに奇跡が起こる。


スピッツの熱心なファンなら知っている人も多い、幻のインディーズ盤というのがある。新宿ロフト時代のレパートリーを収録したミニアルバムで、2000枚しかプレスされなかった。

それが「ヒバリのこころ」だ。

タイトル曲の「ヒバリのこころ」はメジャーデビューシングルにもなったし、「恋のうた」は「名前をつけてやる」にも収録された。しかしこの盤に収められているのは違うバージョン。「トゲトゲの木」と「おっぱい」も後に未発表曲集のようなB面コレクションの「花鳥風月」に収録されることになるとはいえ、それもブレイク後しばらく経ってからのこと。そして何より、屈指の名曲「死にもの狂いのカゲロウを見ていた」はライブDVDを除いて未だにこの盤でしか聞くことができない。

その2000枚のうちの3枚が、とある店で同時に放出された。それは、我々3人が勤務する新聞販売店からすぐ近くにあった、レンタルビデオ店のGEO(ゲオ)要町店!

しかも中古品放出扱いで980円で売られていたのだった。

おそらくシャチョーが最初に「何、こんなの出てたの?」と即買いし、「こんなんありましたよ。」「なに〜!!」っつって慌てて自分も買いに行き、「まだあと1枚ありましたよ、イッシさーん。」「なんだってえ〜!」…というやり取りがなされて、すぐにその3枚を我々で買い占めたのだった。

それから数年後、スピッツがブレイクしたのちに、この盤がいかにレアか貴重かがじわじわ知れ渡り、一時期中古盤屋で10万円以上の値をつけることになるのだったが、その当時はそんなこともつゆ知らず。

90年代初頭はまだバンドブームの余波もあって、音楽業界に活気があった。次々に新しいバンドが出てはスマッシュヒットを飛ばすが、人気が続かずやがてフェードアウトしていくことも多かった。

当時のスピッツもまだそういうバンドの中のひとつだったのかも。「でも次にブレイクするのは彼らだ」という期待を集める魅力があったから、スケールアップすべく模索するその様を応援しているのが楽しかった(日清パワーステーションにも観に行ったし、ON AIRでのマンスリーライブも行ったなあ)。

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ところが「ロビンソン」のヒット以降、あれよあれよと知名度を上げていった時の大ブレイク期は、「まさかここまで売れるとは!」という戸惑いのほうが大きくて、素直に喜べなかったところがあった。単純に「チケット取りにくくなるなあ。」というのがあって。

よく、アイドルとかでも昔からのファンが、応援していたその子らがいざ売れてしまうと、妙にへそを曲げてしまって「セルアウトした彼女らにもう興味はないね。」と強がってしまうこともあると聞くが、それに近いところもあったのかも。

確かに、後に本人たちも語っていた迷いの時期…アルバムでいうと「インディゴ地平線」と「フェイクファー」の頃は、個人的にも好きな曲が少なく、気持ちもだいぶ離れかけていた(ほんとに「ハヤブサ」が無かったら、あのままスピッツファン辞めてたかもしれない)。

はい。その頃です。「ヒバリのこころ」を5万3000円で売っぱらっちゃったのは。


その頃ちょうど、マッキントッシュ・コンピューター(もう若い人はMacがMacintoshだって知らないでしょう)を使い始めていた自分は、これを使った仕事に就けないかな?と思い、バイト探しの情報誌「フロムエー」をめくっていたところ「Mac見習い可」を見出しに掲げていた会社を見つけてそこに入社したのだった。

そこがもともと写植屋さんで、Macを導入して出力センター的なことを始めようとしている会社だった。これが印刷業界で働くことになった始まり。

そうして仕事でも毎日Macを触ることになり、使いこなせるようになった自分は「音楽CDというのも曲のデータが書き込まれたROMに過ぎない」ということに気づく。

調べると、どうも16bitのAIFF形式のまま書き出せば、基本的に音質も劣化しない…らしい。

マスターとなる盤は自分で買ったものだし、大量に複製して売ったりするわけではないから、MDに落とすのもCD-Rに焼き付けるのも変わんなくないか?…そこからジャケットはカラーコピーとった紙を切り抜き、盤はCD-Rに焼いてコピーを作る作業をせっせと始めた。

さらに、当時すでに中古盤屋で買い集めてCDを大量に保持していて置き場に困っていた自分は、「フラッシュディスクランチのソフトケース」に中身を移してプラケースを捨てていくという作業にもハマっていたのだった。

カラーコピーの紙を入れたCD-Rも市販の盤も、どちらもビニールのケースに入れてしまえば、本物かどうかということが気にならなくなっちゃったんだよねえ。

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最初のうちは「もうあんまり聞かなくなってきたな、このアルバム。でも手元に音源は残しておきたいし…。」という盤から順にコピー化を進めていったのだが、だんだん「もう、どうせitunesに読み込んでしまえば、ラジカセでCDを聞くこともほとんど無いんだから、片っ端からCD-Rに焼いちゃえ。」という変な勢いがついてしまっていた。

(今の感覚からすると、なぜコピーCDを作る必要があったのかと不思議に思うかもしれないが、当時はitunesに読み込むといってもMP3とかに圧縮しないとPCのHDの容量が足りなくなってしまうし、まだiPodとかも無いので普段はMDとかで聞くにしても、マスターとなる音源は保持している必要があったのだ)

そうして、ある日とうとう魔が差してしまった。

「スピッツの『ヒバリのこころ』って、激レア盤で中古屋ですごい値段が付いてるけど、買取価格いくらなんだろう?」…って。

それで渋谷のレコファン(たしか)に持って行ったところ、もともと980円で買った盤が53000円で売れたのでした。まさに目先の金に目が眩むとはこの事。

その売ったお金は何に遣ったのかというと…「フラッシュディスクランチのソフトケース」を10パック買いました(笑)。

「これでうちの大量のCDが全部3分の1に圧縮されるぞ〜!」って、当時の自分はしてやったりなつもりで喜んでいた。

のちに「ハヤブサ」以降、バンドとしての勢いを取り戻した2000年以降のスピッツを再び熱心に聴き始め、「あー、やっぱりあの時売ってしまわなければよかったなあ。」と後悔すること多々。

つらい時も悲しい時も、スピッツを聴き続けて30年。古参のファンの自負はあれど、「熱烈なファンです!」と胸を張って言えないのは、魂を売った後ろめたさがあるからなのでした。

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そんなわけで、我が家にある「ヒバリのこころ」は、何の価値もないコピー盤です。

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