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15【スペイン野宿とヒッチハイクde一文無しからブームフェスティバル へ向けて】

【スペイン~ポルトガル BOOM FESTIVAL 2014/08】

(モロッコからスペインへ)
スペインのタリファは小さな港町。
イスラム教を抜け、キリスト教になった。

私は80Lのバックパックと大きなボストンバックをコロコロで転がし引っ張っているという、なんとも大荷物の風貌。
港の目の前にこ洒落た公園があり、オープンレストランや噴水、露店で絵を売っているイラン人のおじさんも居た。

これからポルトガルを目指すと言うと。
「BOOM FESTIVALかい?」
と言われる。

みんな知ってるんだぁ。と思った。
私は私もこの公園で露店をしてもいいか?
と尋ね、大丈夫だということで今日は開かないお店のシャッターの前に、早速お店を広げた。

昼過ぎである。暑い。シエスタの時間帯だ。
ここに座り、しばらく様子を見て、安全そうなら今日は公園で野宿でもして、明日の朝いちから、マイペースにポルトガルを目指してヒッチハイクをしていこう。
と考えていた。

地図もガイドブックも無い。
そしてwi-fiも無いので、どの名前の街を目指してヒッチハイクを始めれば良いのかも分からなかった。

しばらく座っていると、また色々な人に話しかけられる。
ボチボチ商品も売れる。
地元のお姉さんはお茶を購入してくれて、簡単な地図と主要な都市名を書いてくれた。
これで十分、ポルトガルを目指せると思う。

そして。50代だと思われる。
パンク風にもヒッピー風にもルンペン風にも見える男性。

珈琲とチョコの差し入れをくれた。
更にジョイントの差し入れもくれた。
最初は有り難いと思って、頂いていたが、日が暮れるにつれて、その謎の50代男性の行動が怪しくなってきたのだ。
私を見張っているような感じ。

私が他のお客さんなどと談笑していると、遠くから物凄い監視の目で見てくる感じ。

それに気が付いた隣りで犬の首輪を露店で出しているおじさんが、サンドイッチをくれたり、ビールをくれたりと気を遣ってくれた。
そして。
「今夜はどこに泊まるんだい?」
と。
私は。
「この公園で野宿しょうかと思います。」
犬の首輪のおじさん。
「しかし、危ないよ。ほら、だって。」
とパンクだかヒッピーだかルンペンだか分からない謎の50代男性の方に目をやる。
「私の友人が、近所に住んでいるから、今晩はそこに泊まりなさい。」
と犬の首輪のおじさんと友人のおじさん。
私は、いつもの勘で安全そうな場所だと認識し。
その近所のおじさんの家に一晩泊めていただくことにした。
何故、安全かと判断したのは。
露店仲間のおじさんたちだったから。
その露店仲間には20代の若い女の子が焼き物も売っていて、おじさんとも話していた。
その関係を見て、まだ安全だと思ったのだ。

夜中12時頃。
私も犬の首輪を売っているおじさんも、その隣りで陶器を売っているお姉さんもお店を畳み始めた。
35ユーロ程、稼がせてもらったスペイン、タリファ。
私は犬の首輪のおじさんの案内の元、近所のおじさんの家に向かう。

公園の反対側まで行くとBOOMを目指している、旅をしているヒッピー若者集団が十数人で車座になっていた。
私は近所のおじさんの家に行かなくても、この若者たちの近くで野宿すれば安全だし、色々情報は集められそうだな。
と一瞬思ったが、彼らには挨拶をして、近所のおじさんの家へ向かった。

スペイン、タリファ。
魔女の宅急便のキキが、あの海の見える街に辿り着いた時みたいな光景が広がる。
もうこの日は夜遅く、移動が続き疲れたので、おじさんの家のシャワーを借りる。
何故か水しか出ず。
夜は冷え込むタリファでは目が覚める。
そして、おじさんはベッドで一緒に寝ようと言う。
何もしないから寝ようという。

いやいやいや。
そんな意味の分からん申し出。
なんだか変な展開にはだけはなりたくなかったので。
普通に、私はリビングのソファーで一人で寝る。
1人で寝た方が良い。

とだけ押し通し、別々の部屋で一人で就寝が出来た。
こういった空気の読めない申し出は腹が立つが。
道売り、ヒッチハイク、な条件で移動していたら免れない、面倒な男性の性的試みなので。
いちいち腹を立てても仕方ない。
誤解されても仕方が無いという諦めもある。

1発目の申し出で断固拒否のシャットアウト。
それ以上、しつこければ大げさに怒り狂う。説教モードで。

1度、大袈裟に断れば問題ない。
それでもしつこいのであれば、武力行使も想定内だが。
未だ、私は男性と暴力で問題解決しなくてはいけない状況に陥ったことがない。
私は喧嘩も暴力も嫌いだが、
何故か男性と互角に張り得る自信だけはあった。
勿論。
容姿や雰囲気、筋肉具合などから確実に瞬発力があり喧嘩なれしている男性は別。
私の中でも、一応、勝てそうか勝てなさそうか判断は出来る。
とはいっても。
その辺に歩いている様な普通のおじさんなら素手で押さえ込むことは可能だと思っている。

随分と根拠の無い自信を持ち合わせていた。

理由はもうひとつ。
暴力に対して肉体的にも精神的にも打たれ強いのは確かである。
幼少期から継母の躾の一環として、毎日、何かしら暴力を受けていた。
昔の体育会系の部活の様に。
そう。継母は学生時代に厳しいバスケットクラブに入っていたらしい。
また。死ぬ間際の鬱状態の父親からも、暴力を受けていた。

なので。
私の攻撃力や瞬発力は未知数であるが。
防御力は心身共に、ある程度の態勢はついていると思っていた。

哀しいかな。
人に殴られたり怒られたりすることに慣れている。
慣れているからこその怖いもの知らずと、危険探知能力なのだと思う。

絶対に他人に勧めないし、真似しないで欲しいと思う。

2軒目の写真家のおじさんの家

翌朝。カモメが飛び交う港町。
おじさんは、朝食に珈琲と焼き魚を出してくれた。
拾われて来た猫の気分になる。

私はヒッチハイクで次の街を目指すと告げる。
おじさんは、こんなに大荷物で疲れているだろうからフットマッサージをしてくれると言う。

私は嫌なので断るがゴリ押しのおじさん。
まだ移動の疲れが抜けず、単なるフットマッサージなら。
という条件でフットマッサージをしてもらう。

1時間程、謎のフットマッサージは続いた。
案の定。
これは、おじさんのエロを狙うマッサージでしかなかった。
全くマッサージを心得ていない。
くすぐったい場合もあるが、くすぐったいというスペイン語も分からず。
もう、何も反応せずに無視して瞳を休ませることに徹した。

やはり疲れていた私はウトウトとテレビを見て、マッサージが終わるのを待ち。
おじさんが調子に乗ってエロマッサージを始めない様に気を張って。
おじさんの触りたいだけへなちょこマッサージが終わるの待つ。
お昼前にタリファを後にした。

朝ご飯の焼き魚は美味しい


8月の頭。
ヨーロッパの人々もバカンスに出掛ける時期。沢山の浮かれた車が国道を走っていた。
私のヒッチハイクも一時間もしないうちに1台つかまった。

30代前後の男性。
一緒に乗っていた親戚のおばさま2人は途中で降りた。
正直、ここまでスペインの方の英語は私と同等か、殆ど話せないか位だ。
知っている単語とジェシュチャーでどうにでもなるものだ。
彼はフォトグラファーだと言う。
どこに行くのか?と聞かれ、ポルトガルだと言えば、
「やはりBOOM FESTIVALか?」
と言われる。

そして互いに拙い英会話の中で彼は私に
「アシッドはやるのか?」
と聞いてきた。
馬鹿正直に
「大好きだよ。感謝している。」
と言った私。

その後、ドライバーの予定は一変。
「実家が悪い少年たちによって壊されたから見に行かなければいけない。2、3時間掛かる。もし2、3時間して、また君がここに居たら連れて行くよ。」
と。山の中のガソリンスタンドに降ろされた。

まぁいいや。とヒッチハイクを再会。
30分もしないうちに赤い車のおじいさんが停まる。
私の目指す次の街、セヴィラまで連れて行ってくれるというが、その前に自宅に寄って、何か取りに行くと言う。
おじいさんの家は凄くシンプルでお洒落なドーム型。
センスも良く、話を聞くと写真展を開催中だと言う。

チーズとワインをご馳走になり、パソコンのGoogle翻訳で会話をして音楽を聴いた。
大きなスクリーンに黒澤明の映画を流してくれて、私はウトウトと昼寝。
肌触りがとても良い毛布をかけてくれた、おじいさん。

おじいさんは、私を強く繊細な女性だと翻訳で話していた。

目が覚めると、おじいさんは開催中の写真展のパーティーがあるという。
「写真展に一緒に来るかい?」と。
今日は、一晩ここで過ごして、明日、ヒッチハイクを再会すればいい。
とのお誘い。

写真展は気になるし、今晩の宿代は浮く。何より、優しいおじいさん。
そしておじいさんは、誰かに電話して怒っていた。
写真展の関係者か、私は写真展に行けなくなった。
なので、おじいさんは、私を次の街の手前の幹線道路まで車で連れて行ってくれたのだ。

私はなんとなく写真のおじいさんの家に泊まらなくて良かったのかも?
とも思う。
何故なら。凄く優しくお洒落なお家に招待してくれた、おじいさんだが。
写真展の関係者との電話で、物凄く声を荒げ怒っていたから。
あんな風に怒る姿があるということは、、、?と

私は。
サイケデリックな世界をどんどん楽しむ人生の中で。
色々と経験から学ぼうとしていたのだ。
一文無しやサイケデリックを楽しむまでは気が付かなかった人間世界。
物凄く、人間を見抜く事に対して鈍感な自分。
人間世界の表と裏。
自分自身の至らない部分を上手く隠しながら、他者には物凄く良く自分を見せる人。

そんな人たちの本性が見抜けず、いつも悩まされていた。
傷付いていた。

私は。
自分自身が遊びに没頭する中で、感覚などが敏感になり、気が付き始めていたのだ。
人間は簡単に嘘をつく。しかも無意識に。
人間は無意識レベルで嘘にならないような絶妙な誤摩化しをして、社会で生きている人も多い。
その微妙な誤摩化しが、害になるモノもあれば、ならないモノもあって。

私はいつも害になる誤摩化しに、誤摩化され、後々、気が付き、酷く損をしたり傷付いたりしていた。

そして。
もしかしたら自分も無意識で人に害を与え傷付けたりもしているのかもしれない。

写真家のおじいさんのおもてなし

その後、直ぐに幼い子供2人が眠り、夫婦が運転する車に乗せてもらう。
私はセヴィラの高速道路付近のスーパーの駐車場で降ろしてもらった。
すっかり日は暮れ、薄い月が輝き始める時刻。
さて、今夜の寝床はどうしょう、か。

童心に返りカワイイスペインのグミが食事

スーパーの前で少し考え。
とりあえず、街の雰囲気を見つつ、目の前にあったビジネスホテルに価格を聞いてみることに。
80ユーロちかい価格でとてもじゃないけど、この状況、この場で80ユーロも宿代に使用するのはもったいなかった。

他に安いホテルを聞くとすぐ裏手にあった。
さらにそのホテルの目の前は大通り。
価格は30ユーロ。
街の雰囲気は郊外のニュータウンという感じだった。
観光客らしき人は見当たらない。
「割引出来ますか?」
と聞きつつ状況と価格を天秤にかけていた。
「割引は無いけど、朝食のビュッフェがあるよ。」

私は港町タリファで35ユーロ稼がせてもらっていたので、このホテルに泊まる事に決めた。
そう。wifiもあった。
情報収集の為にネットもやりたかったのだ。
ヒッチハイクが続くと、SIMカード無しのiPhoneではFREE WIFIスポットを探さなければならなく、色々と不便なのだ。
朝食付き、WIFI使用で30ユーロの宿泊費は納得出来る価格だったのだ。
目指していたフェスティバルまで3日程しか時間が無かったので、ゆっくり休める最後の場所でもある。
チケットは未だに所持していなかった。しかし、行けばなんとかなる。
私は完璧に根拠の無い、感覚的自信を信じきって生きていた。

安宿でスペイン語のシンプソンズを堪能

部屋の冷房をガンガンにして暑いシャワーを浴びる。
くまなく全身を洗い、洗える洗濯物は全て洗う。

スペイン語のシンプソンズやドラえもんを楽しみながら、駄菓子屋さんで買ったお菓子を食べて、ネットして、一服。
パーティーへ向かう友人たちの動向をチェックし、情報を交換。
やはりチケット売り切れにより、探している友人も居た。
私はFacebook上で、パーティー友達と励まし合い、応援し、無事に会場で、また会おうと。

友達だからといって、色々とお願いは出来ないのだ。
皆、自分のことで精一杯だと思っていたので、私も全て自分の力でどうにかしないと。
と。

それに。こんな大荷物で、ゴアでは一文無しになっている私。
サイケデリック精神世界とパーティーサバイバル世界を知っている者であれば警戒するのでは?
迷惑だと思うのでは?

という考えもあった。
この先、弾丸でリスボンを目指し、ブームフェスティバル会場まで行ってしまったら、インターネット、WIFIを使用することは難しくなる。
パーティーサバイバル同志との最後のコンタクト。
これからFREE WIFIが無いという前に、充電さえまもならない大自然の中へ向かうのだから。

所持金も少ない。
車も無い。
友達ももう何処に居るのか分からない。
そこで会った人が友達。
に加え、大荷物。

周囲に民家なんて無い大自然の中で一週間過ごす大きな5万人規模の野外パーティーだ。
それに単独で挑むには、行き当たりばったり、弱小スペックだった私である。

これから待ち受ける大自然サバイバルに向けて最後の文明地点

ヒッチハイクとか野宿とか
知らない現地の人の家にいきなり泊まるとか

危機管理能力無さすぎる!

と叱咤する人もいるかもしれない。
自己責任なので他者に推奨はしない。

しかし。
当時の私は本当に本当に。

少年ジャンプの主人公だったのだ。

サイキック能力も使えるし、
そんな見知らぬ能力者たちにも出会い別れ旅を続ける。

自分の旅路に恐怖も疑いも微塵もない。

感動と正解しかない。

私の旅は無限大のワクワクで満ち溢れていた。



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