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☆○o。2024いのちの祭り㊃アフタートークの独り言。o○☆

息子の潜在意識からの無垢な母への愛情

ヒョンとこなサイケデリックコネクション
から
チケット売り切れなスタートラインから参加
そして
エンジョイした

˚*.꒰いのちの祭り꒱.*˚

終了後もさまざまな議論や憶測
反省と
未来への希望
ナドナド
各々
語り合っている姿が電子世界で垣間見られます。

私にとっては
【希死概念】
がレスされた
天然のヒーリングお薬の場として共有させてもらった

˚*.꒰いのちの祭り꒱.*˚

でした。

何も知らなかった私は。
最終日の早朝。
大成功を収めた自分的
闇から光へのイニシエーションの後、
意気揚々とテント基地に戻り
スヤスヤと寝ている息子を確認。

直火珈琲と朝ご飯の準備
そして
台風一過の賜物景色を山の上から眺めて一服
身体も脚も全身筋肉痛なのに
身体が勝手に動く動く動く

午後の雨の懸念をして
濡れたキャンプ用品を乾かしたり
なんやかんや
バタバタしていると
息子起床

な完璧なる流れ

そして
基地を共にしたゴア友

気が付かずダンスフロアを共にしたゴア友
との団欒

「えー?居たの?気が付かなかったよ。私、夜中の2時に現場入りして、ど真ん中、DJレイラインから初めてさ。
徐々に徐々に前に詰め寄って、5時間くらいかけて前から3列目に到達したんだよ」

「おっ!キーちゃん大人だねぇ!わかるわかる!いきなり前に行かない楽しみね!ちょっと前が空いたら、スって入って、徐々に前いくやつね」

「そうそうそう!その達成感よ!」

「あとさ、ずっとステップ踏み続けてだんだん、自分の場所が土になって踊りやすくなってくやつ!」

「わっかるわー!」


なんて。
昨夜のフロアの感想など話している流れで。
何故か

【世の中には死にたいと思ったことが無い人もいる】

というお題に。

私は、20歳くらいから常に【希死概念】と共に生きている。

原因はなんだろうなぁ、、、、
あるとしたら、
父親の自殺かなー?

とかとか。
子供って、結局。親の生き方を見て学んで育ってしまうもので
いくら親が毒親で反面教師にしてやる!
と意気込んでいても
そして、自分は自分の生き方をする!
子育てをする!
前の世代の負の遺産は引きづがない!

と意気込んで
様々な方法で生き方や子育てを学ぼうと模索しても、、、


なんだか
根深く潜在意識に刷り込まれてるのかDNAなのか?
どうしても似たような感じが
良くも悪くも拭えない

と子育てを始めて痛感した私の事実

*。*☆*。*゚*。*☆*。*゚*。*☆*。*゚*。*☆*。*゚*。*☆*。*

˚*.꒰いのちの祭り2024꒱.*˚

自死者が出てしまった
まともな台風対策をしていない
長蛇の列の入場
子供をほったらかして遊ぶ親 
泣きながら親を探す子供
盗難

そんな側面を体験した人が
ザイオンとバビロン
の入り混じった祭り

と表現している人がいた

これは、いのちの祭りに限ったことではない


世界そのものなだけだ


久々の日本生活で私は感じるのだが
日本の通常生活はプラスチックのボトルの中で守られているかのように

良くも悪くも

安全

すぎる

だから
ザイオンもバビロンも
日常生活で体感することは難しいのかなとも思う

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正直
˚*.꒰いのちの祭り꒱.*˚

祭りとして、祭事としてやろうという意気込みはあったらしいのだが
私のイメージでは
ビックフェスだった

OZORAかBoomか
といえば
OZORA
に近い

外国のレインボーフェスティバルともまた違う

それほど過酷ではないロケーションと天候
スキー場の建物という自由に出入りできる施設がある
更に温泉まである
なんならウォシュレットトイレまでもある
(途中までそのその存在を知らなかった息子は頑張ってRave of Artの仮設トイレまで毎朝走っていたらしい、、、、)

そして
私が何より驚いたこと

そのスキー場施設の温泉のある建物内のロビーでは、、、、、

スイッチやパソコン、携帯、iPadのゲームで楽しそうに遊んでいる子供たち


ええええー令和の時代のヒッピー祭りですな!?

こうゆうお祭りに来る親御さんたちは、
子供たちを自然に育てたく電子機器を積極的に制限しているタイプが多いのかと思っていたので驚愕した

お祭りフェスティバルで子供が電子機器ゲームで遊んでいることが
悪い訳ではない

それが
現代人の遊びで、それで遊びたいのだから、それでいいのだ


息子はその光景を見て
「えーiPadもってくればよかったー」
と言っていたけど
私は息子に
「我が家は却下!壊れたり、盗まれたりして困るものは持ってこない主義なの」

すると息子は
「まぁキャンプが好きじゃない子供もいるんだねー」
と自分なりに納得した様子


そう。
祭りで「盗難」
があったことにも嘆いていた人がいたけれど

私は、そもそも「盗難」ありきの気持ちで参加していた
なので、
もし1人だったら
荷物を置いてトイレに行けないからと
鍵付きチェーンも持っていたし
テントの鍵を閉めるダイアルロックも持っていた

幸い、どちらのロックも使用することはない
(私的に安全で)和やかな雰囲気の祭りだった

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いのちの祭り
とか言って
死者出てんじゃんよー

とかとか
アレコレ議論している人たちは電脳電子空間で沢山見かけた

死者の死にいたる原因について言及すると
ややこしく、難しくなるけれど

シンプルに
【死】

について言及するのであれば
祭りで死者が出ることは
日本国内であっても過去に沢山ある

歩道橋で将棋倒しになった事件とか
花火大会の屋台のガス爆発とか

【死】
の事実はどう頑張っても変えられない

ブッタも修行に出る時に痛感したことだ

「生・老・病・死」
「一切皆苦」

私の父は私が16歳の頃に鬱と借金苦などなどにより自害した

正直
父から暴力を受けていた私にとって
死ぬ間際の父は暴走列車
早く死んで欲しかったという気持ちが事実

そして父が自害する1ヶ月前には
父の周りにドス黒い緑の煙が見えて
ああ、この人はそろそろ死ぬなと直感的に思った

そんなこんなで
親子離れ離れになり
晴れて独り身の生活
自由の身!

とウキウキな高校時代だったのだが

まぁそうは言っても
自分の認識しないところでの心身のダメージは大きかったらしい

その後、勝手に私を産んで、
勝手に再婚して変な環境で育児して、
勝手に死んでいった親を恨むことも多々あった

けれど
今現在
我が子の理由なき親に対する愛情をガンガン浴びせられていると
様々な気付きと消化があり

もともと、
全ての人間は純粋無垢な理由なき愛情を持っているんだな
そう
思春期の理由なき反抗のもっと前に
理由なき深い愛情ってやつがあるんだ

と思う

生まれた時から
死にたい赤ちゃんはいないし
人を恨み殺したいと思ってる赤ちゃんもいない

この地球の人生ゲームに没頭しすぎるうちに
みんな
極端になってしまっていくだけなんだなと


なので
これは持論なのですが
【死】

に関しては
細かい考察やなんやかんや頭で考えて議論して
なんやかんやっても通過点のひとつで
いいんですけど

最終的には
もう、息を吸って吐くように
ただただ
ありのままの現実を受け入れるだけ


だと思うのであります

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そして
子供がテントで泣いているのに
ほったらかしにして遊ぶ親について苦言を呈している人もいました

親だって完璧じゃないからさ
育児イイローゼでそれこそ死を考えちゃってる人もいるし
やりたくないけど
もう止められなくて
子供に暴力暴言しちゃう場合もあるし

子育てってのは
今や核家族化が普通で親だけの責任を
見えない社会の人たちやらネットの人たちが
親だけを責め立てたりしてるけど

私個人の意見で言えば
社会コミュニティ全体で
子供を育て、守り
親を支え、協力していく
のが

本来の人間の子育ての自然なあり方なんじゃないかな

と思うのであります

現代社会において

独身だから、子供は持たない主義だから

子供を育て、守ることから距離を置いている人たちがいるのは
様々な理由で仕方がないことでもある

けれど 

外野から親だけを非難、批判することは控えてあげてほしいなと思うのであります


そう。
それが、例え、虐待の末に子供を殺してしまった親に対してでも、、、

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何か事件があった時
その事柄に対して
賛同、批判、様々な角度から様々な意見や持論を持つことは
洗脳されない自立した人間になる為の第一歩として
とても重要なこと
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