村上春樹 原作初のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』
そもそも村上春樹先生はアニメが苦手だそうだ。過去のエッセイに、あまり良い印象を持っていないことを綴っている。
それは業界的にも有名らしく、事実『めくらやなぎと眠る女』のピエール・フォルデス監督が原作権の取得のためにパリのエージェントにコンタクトを取った際には、「村上春樹がアニメーション化を許すわけがない」と門前払いを食らったそうだ。
だがアニメ化は実現した。どんなポイントが、かの村上春樹の許しを得る要因となったのだろうか。
「ライブ・アニメーション」という、実写とアニメを組み合わせた独特な表現方法を用いているという点が大きいだろう。これはまず実写で撮影をし、その映像をもとにアニメ動画をおこしていくというもの。実写映像はあくまでも参考であり、アニメーションにする際にはオリジナリティが付加される。ここが、実写映像をトレースして使う「ロトスコープ」とは似て非なるポイントだ。
独自の映像表現、ピエール・フォルデス監督の俳優や作曲家としての多岐に渡る実績、これまでに作ったショートアニメーション作品、本作におけるイメージとインスピレーションの丁寧なプレゼン。これらが功を奏して、初の村上春樹原作アニメ映画が誕生することとなった。
村上春樹は「原作はどれを選んでも良い」と監督に言った。そこから改めて全短篇作品を読んだピエール・フォルデス監督から、「1つではなくいくつかの作品を使いたい」と相談を受けた際も、快諾した。
このようにして映画『めくらやなぎと眠る女』は、1本の長編映画に複数の短篇小説が組み込まれる形式となったのである。それは「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」の6作品。
これらはオムニバス形式でバラバラに収録されているわけではない。「UFOが釧路に降りる」の主人公”小村”が、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の主人公として登場するといった具合に、作品間を横断して、繋がったストーリーに再構築されているのだ。この繋げ方も実に見事である。
原作短篇を読んでいるハルキストであれば、1本の映画を観ながら、それぞれのシーンが村上春樹の作品の舞台に変化するという不思議な快感を味わうことができるのだ。
原作短篇の収録作品を紹介しておきたい。
「かえるくん、東京を救う」「UFOが釧路に降りる」収録
「ねじまき鳥と火曜日の女たち」収録
「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「めくらやなぎと、眠る女」収録
「めくらやなぎと、眠る女」が収録された短篇集を文庫版でゲットしたい場合は、「螢・納屋を焼く・その他の短編」に収録
少しややこしいが、短篇小説としてのタイトルは「めくらやなぎと、眠る女」、収録されている短篇集のタイトルは「めくらやなぎと眠る女」となっており、読点の有無の違いがある。
「めくらやなぎと一緒に寝ている女」ではなく、「めくらやなぎ&眠る女」であることを、分かりやすくするためだろうか。いずれにせよ、意味の取り違えには注意したい。
またタイトルでお気づきの方も多いかもしれないが、短篇「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は、長篇「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭の章の原型になった作品である。村上春樹は短篇小説を長編小説の一部として書き直すことが多く、併せて読んでみるのも面白い。(映画とは関係がないが、「螢」→「ノルウェイの森」、「人喰い猫」→「スプートニクの恋人」がその代表例である。)
最後に、フランス・ルクセンブルク・カナダ・オランダ合作となった『めくらやなぎと眠る女』には、「日本語吹替版」ではなく「日本語版」が存在している点についても少し触れたい。
一般的に「大人向けアニメーション」が想定する客層には、村上春樹がそうであるように、アニメを好んでは観ない人が多い。しかし今回は、そんな原作者からOKが出た。普段アニメを見ない客層へのよりアプローチしやすい方法の一つとして「日本語版」が走り始めたのである。村上春樹ファンである監督たっての希望があった点も、大きな後押しとなった。
日本語版の演出には、『淵に立つ』や『LOVE LIFE』で知られる深田晃司監督。珍しいケースだが、ピエール・フォルデス監督もオーディションから収録まですべてに立会った。そして先述の「ライブ・アニメーション」という今作独自の撮影手法に則り、声を担当した俳優陣が実際に演じ、それを録音するという、いわば「カメラなし撮影(録音)」が行われた。ベッドシーンなどでは、実際に寝転がりながら録音されている。
日本語版に出演している柄本明や塚本晋也などのベテラン勢は、キャリア初期はまだオールアフレコ文化であったろうし、この撮影(録音)方法は、そこまで不慣れなものではなかったかもしれない。
おわりに
これからご覧になろうと思っている方で、オリジナル言語の「英語版」と「日本語版」のどちらを見ようか迷われていたら、個人的には「日本語版」を推したい。原作を読んでいると、日本語で情景やセリフを記憶しているので、映画の中で”村上春樹”に出会う感覚が少し変わる。
また劇中には「かえるさん」と呼ばれた蛙が「かえるくん」と呼び方を訂正するシーンがあるが、英語だと「Mr.Frog」がシンプルな「Frog」に変わるだけなので、若干だがニュアンスが損なわれてしまっているように感じられる個所もある。
時間があれば、原作を読み、「英語版」も「日本語版」も観るのがこの上ない贅沢だろう。村上春樹原作のアニメは、もうないかもしれないし。