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映画『シサム』シャクシャインの戦いとアイヌを苦しめた不平等な交易

江戸時代の蝦夷地、現在でいう北海道を舞台にした時代劇映画『シサム』が劇場公開中である。「シサム(正式にはムの表記は小文字)」とは、アイヌ語で”隣人”という意味で和人わじん(アイヌから見た日本人)など、アイヌ以外の人のことを指す。

松前藩士の息子、主人公の考二郎もいわゆる「シサム」である。彼は兄と共にアイヌと交易をするため蝦夷地えぞちへと入るが、兄は使用人の善助に殺されてしまう。武士として仇討ちを誓った考二郎は、善助を追ってアイヌの住む森へと足を踏み入れる。

(C)映画「シサム」製作委員会

『シサム』は考二郎の感情の変化を丁寧に描いているので、少しずつアイヌの文化を理解していく様子は、映画の導くままに素直に楽しむのが良さそうだ。

ただ、そもそもなぜアイヌと交易をおこなっているのか、当時の幕藩体制における松前藩の立ち位置、存在が示唆されるシャクシャイン、北海道の地理関係、映画をより深く理解し楽しむためには、こういった背景について知っておくのが良いだろう。映画の鑑賞前でも後でも読めるよう、ネタバレなしで解説していきたい。

松前藩とアイヌの交易

江戸時代では、米の生産力を示す「石高こくだか」が幕府によって割り振られ、各大名が幕藩体制を支えていた。しかしこの時代には寒冷な地域での米の栽培技術が未熟だったため、松前藩ではそもそも米を栽培していなかったのだ。

ではどのようにして、松前藩は財政を支えたのか。

徳川家康の黒印状によって蝦夷地でのアイヌとの交易の独占権を承認されており、この交易を主たる収入にしていたのである。松前藩は上級家臣たちにアイヌとの交易エリアをそれぞれ与え、上級家臣たちは各自の交易場所である「商場」に商船を派遣した(商場知行制あきないばちぎょうせい)。映画の冒頭で考二郎と兄が出発するのは、まさにこの交易のためである。

(C)映画「シサム」製作委員会

アイヌ側の交易品は、干し鮭、ニシン、昆布、串貝、オットセイ、魚油、熊皮、鹿皮、蝦夷錦、ラッコ毛皮など。松前藩は、米、麹、酒、古着、布、糸、鍋、椀、塩、タバコ、キセルなどを用意していた。

劇中で、米の量をごまかす和人に対してアイヌが憤るシーンがあるが、それでも酒、米、鉄、漆器は「必要だ」とまた別のアイヌが言う。交易はアイヌにとっても欠かせないものになっていたのだろう。

松前藩の地位

松前藩は蝦夷地におけるアイヌとの交易独占権を家康に安堵されたわけだが、アイヌにとっては、これまで交易してきた東北の和人たちとの交易を禁じられるという不平等なものだった。同時に東北の武士、商人たちにとっても到底納得のいくものではなかったに違いない。

(C)映画「シサム」製作委員会

その証拠に、『シサム』には津軽藩(弘前藩)の隠密が物語のキーマンとして登場する。「交易を独占する松前藩の実態を調査せよ」と、幕府からの依頼で潜入しているという。

そして考二郎の母は会津藩の出身であり、ご縁あって松前藩に嫁入りしたそうだが、「アイヌとの交易で生計を立てている松前藩の武士は、真っ当な武家ではない」と、自分の嫁ぎ先にもかかわらず、そんな考えを持っていると示唆される。

このように映画『シサム』では、松前藩は他の藩から疎まれ、蔑まれ、アイヌとの交易を独占する不届きものだとでもいう様な描写が続く。交易権については家康に認められたものであるし仕方がないのでは…と筆者は思った。しかしエンドクレジットを見ると「江戸時代考証」が入っているし、知識不足によって筆者にも見えていない背景がまだありそうだ。お詳しい方がいれば、コメント欄にてご教示いただけるととても嬉しい。

シャクシャインの戦い

(C)映画「シサム」製作委員会

劇中に直接出てくるわけではないが、映画で、そして歴史上でもキーマンとなるのが、各地のアイヌをまとめあげて蜂起したシャクシャインである。

日本史の教科書にも載っている「シャクシャインの戦い」が起こったのは1669年。映画の冒頭に、これから蝦夷地への交易に赴こうという考二郎に対して「最近はシャクシャインという実力者が不穏な動きをしているから注意しろ」という忠告がある。映画の時代も同年と考えて良さそうだ。

この戦いの背景には、商場知行政によって松前藩としか交易ができなくなったアイヌが、独占的な交易の仕組みで公益の主導権を握られたことに加えて、和人の砂金採取場の設置によってアイヌの狩猟漁労の場所が狭められたことなどがある。

「アイヌと砂金」と聞くと、漫画『ゴールデンカムイ』をどうしても想起してしまう。漫画における時代は日露戦争(1904~1905年)直後。その200年以上も前から、和人は北海道で砂金採りをしていたのだ。

©野田サトル/集英社 ゴールデンカムイ

考二郎はシャクシャインについて注意を促されたとき、交易場所はシャクシャインのいる「シベチャリ(新ひだか町静内)」より、ずっと東だから安心だとも言われる。

ここで映画に登場する地名の地理関係を、かんたんに整理したい。

北海道の地理

北海道地図
山陰中央新報デジタル」より

函館などを含む一帯が和人の住む「和人地」で、それ以外の地域がアイヌの住む「蝦夷地」として区分けされていた。一説によると、松前城下付近はアイヌも和人も雑居する状態だったが、1633年に幕府の巡検使が初めて松前を監察し、松前藩はその領域を明確にするよう要求される。和人は和人地に住み、アイヌは蝦夷地に住む。こうした分離政策が進む中で、それぞれの交易エリアを区分けし指定する「商場知行制」が作り出されたとも考えられている。

考二郎の家族が住んでいる「松前」は、北海道の最も南西のエリア。そこから船で交易に向かったのは、釧路の西にある「白糠(シラヌカ)」という地で、シャクシャインが首長であった「シベチャリ」は車で200km超の距離だ。上記の地図で言うと「浦河」の西40kmほどの場所にある。

アイヌは狩猟採集の移動性がそこまで高くない社会だったため、確かにこの距離は、安心と思える遠さだったのかもしれない。しかし、映画の後半でシャクシャインの戦いの波が考二郎たちにも届くことを考えると、その蜂起がいかに和人の予想を超え、規模の大きいものだったかがよく分かる。

(C)映画「シサム」製作委員会

映画のその後

映画の結末には触れないが、「シャクシャインの戦い」後について紹介することで、映画のその後について考える参考にしていただきたい。

アイヌと和人が各地で攻防を繰り広げる中、和人側がシャクシャインに偽りの和睦を申し入れる。これを受けたシャクシャインは、和解の宴席で酔ったところを襲撃され死亡。こうして指導者を失ったアイヌは、各地で松前藩に鎮圧される結果となった。

この戦いの結果、アイヌは対和人との関係性でその立場を弱くしてしまい、従属化が進んでいく。同時期に松前藩の財政が悪化していたこともあり、松前藩の上級家臣が直接アイヌと交易していた「商場知行制」から、交易を商人に再委託する「場所請負制ばしょうけおいせい」に取引の形態が変化していった。

TryIT「5分で分かる!貿易相手国」より

「場所請負制」によって、アイヌはこれまでの産物に加え、自身を労働力として提供することが求められるようになる。和人商人とアイヌは対等な関係ではなく、アイヌが一方的に低賃金で働かされていたのが現実である。

こうして今なお残るアイヌへの差別や偏見を生む、和人との上下関係が決定的になってしまったのだ。

(C)映画「シサム」製作委員会

おわりに

韓国映画業界には「ファクション」という韓製英語がある。事実を基にしたフィクション映画で、ファクト(事実)とフィクション(作り話)を組み合わせた造語である。

どんどん生みだされる韓国映画の傑作には、このファクションに属するものが多い。長く続いた軍事政権・保守派政権から民主化が進み、「過去の悪政」についても創作の自由が進んだ結果でもあるが、日本にもこういった映画が増えてほしいとイチファンとして常々感じてきた。

去年の『福田村事件』に続き、今回の『シサム』は、まさに望んできた作品たちである。ここから過去を振り返り、また様々なことを学ぶ良いきっかけとしたい。


▼参考文献
増補版 北海道の歴史がわかる本


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芦田央(DJ GANDHI)
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。面白い記事が書けるよう精進します。 最後まで読んだついでに「スキ」お願いします!