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『箱男』50年前の小説が映画化される安倍公房の先見性

1973年に刊行された作家・安倍公房の『箱男』。ヨーロッパやハリウッドの著名な映画監督らが、何度かこの小説の映画化を試みるものの、安部公房サイドからの許諾が下りず、企画が立ち上がっては消えていた。最終的に安倍公房本人から映画化を託されたのが、本作で監督を務めた石井岳龍(当時は石井聰亙)である。

(C)2024 The Box Man Film Partners

そして1997年、映画『箱男』の製作が決定。スタッフ・キャストが撮影地のドイツ・ハンブルクに渡り、巨大病院のセットを八割がた完成させるも、製作会社の資金繰りに問題が発生し、クランクイン直前に急遽の製作中止。大きな失望とともに帰国を余儀なくされた。

それから27年もの間、映画の企画が何度か再浮上。そしてついに、小説『箱男』の刊行から50年が経ち、安倍公房生誕100年の節目となる今年、映画は公開の日の目を見たのである。驚くことに、石井岳龍監督・永瀬正敏の主演・佐藤浩市の出演という、27年前と同じ組み合わせが実現している、執念の映画化なのだ。

(C)2024 The Box Man Film Partners

さてそんな『箱男』は、ダンボールを頭からすっぽりと被った姿で都市をさまよい、覗き窓から世界を覗いて、妄想をノートに記述する「箱男」を主人公とした奇抜な設定の物語である。

50年前に書かれた原作小説を今読んでも、現代における社会観念についての予言めいた指摘が多いことに驚かされる。監督も当然、半世紀前の価値観で書かれた原作を、現在の観客にどう届けるべきか、27年前の頓挫以降も試行錯誤を重ねてきた。

そして、箱の中で社会から切り離されつつも「覗く」ことで精神的優位に立とうとする「箱男」と、スマートフォンとSNSで他人の生活を覗き匿名性を利用して攻撃する現代人との類似に、映画のテーマを見出した。映画公式パンフレットでも「決定的だったのは、コロナ禍ですね。人々が閉じ籠るようになり、分断が進んだ。」と、その着想のきっかけについて語っている。

これは逆に言うと、人と人との関係性やその在り方が「このように変化していくのではないか」という安倍公房の当時の目算が、現在の物差しで見てもきわめて正確に内包されていたということだ。

(C)2024 The Box Man Film Partners

石井岳龍監督は、『箱男』の「箱」が、令和においては「スマホ」ともいえると考えた。

映画公式サイトのSTORYにも下記のように書かれている。

小さな箱の中で王国を作り、守られた状態で世界を一方的に覗く姿は、不確実性の中で揺らぎながら、小さな端末スマホを手に持ち、匿名の存在としてSNSで一方的に他者を眼差し、時に攻撃さえもする現代の私たちと「無関係」と言えるだろうか…。
そして最も驚くのは、著書が発表された50年前に安部公房はすでに現代社会を予見していたということだ。

映画『箱男』公式サイトより

スマートフォンの登場まで正確に予想されていたわけではないが、人と人、人と情報の関係性については本質を捉えている。

(C)2024 The Box Man Film Partners

安倍公房は『燃えつきた地図』の発表後、約5年半をかけて『箱男』を書きあげたわけだが、この1967年~1973年の間というのは、カラーテレビの国内普及率が上がっていった時期と重なっている(多くの視聴者が画面にかじりついて見たアポロ11号月面着陸が1969年、カラーテレビの普及を加速させた大阪万博が1970年)。かつ、テレビCMが本格的に始まったのもこの頃である。

つまり小説『箱男』は、人と情報との関わりに大きな変革がもたらされた時代に生まれたのだ。さらに作品の中には、下記のようなセリフがある。

ニュースを読んだり聞いたりするだけで、一日の大半がつぶれてしまうんだからな。自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。もちろん、いくら漁りまわったところで、べつに事実に近付いたわけじゃないくらい百も承知していた。承知していながら、やめられないんだ。ぼくに必要なのは、事実でも体験でもなく、きまり文句に要約されたニュースという形式だったのかもしれない。つまり完全なニュース中毒にかかっていたわけさ。

『箱男』安倍公房 新潮社より

この文章の「ニュース」を「SNS」に、「ラジオやテレビ」を「スマートフォン」に変換してみてほしい。最近どこかで見かけたような言説へと変わるのがお分かりいただけると思う。

(C)2024 The Box Man Film Partners

原作からもう一文、ご紹介したい。

「箱男」を見かけたAという登場人物が、「箱男」を意識し過ぎるあまり、最終的には自らも「箱男」となってしまうエピソードの締めの部分である。

一度でも、匿名の市民だけのための、匿名の都市 ー 扉という扉が、誰のためにもへだてなく開かれていて、他人どうしだろうと、とくに身構える必要はなく、逆立ちして歩こうと、道端で眠り込もうと、咎められず、人々を呼び止めるのに、特別な許可は要らず、歌自慢なら、いくら勝手に歌いかけようと自由だし、それが済めば、いつでも好きな時に、無名の人ごみにまぎれ込むことが出来る、そんな街 ー のことを、一度でもいいから思い描き、夢に見たことのある者だったら、他人事ではない、常にAと同じ危険にさらされているはずなのだ。

『箱男』安倍公房 新潮社より

要するに、自我を保ったまま匿名で個人を特定されずに、現実の規範や責任から解放されたいと一度でも考えたことのある者は、Aと同じく「箱男」になる危険にさらされているということだ。

これは(たとえ無意識下であっても)そのような要望を持つ者、匿名性が担保されたSNSや掲示板サイトの利用者はもちろん、自分のアバターでもって楽しむゲーマー、VTuberなど、広義でいうと現代人のほとんどが当てはまるのではないだろうか。

石井岳龍監督はこういった点に目を付けたのかもしれない。映画にスマホやSNSが直接的には登場しないが、そういったもののメタファーであるということを上手く示唆した再構築版になっているのだ。

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以上のように、『箱男』は非常に先見性に富んだ作品である。時代を超える普遍的なメッセージ、安倍公房の世界観をぜひとも映画館で体感してみていただきたい。

しかし、ここまで堅苦しい調子で書いてしまったが、安倍公房が石井岳龍監督に対して唯一出した注文というのが「娯楽映画にして欲しい」だそうだ。事実、その注文通り素晴らしい娯楽映画になっていると思う。前衛的な部分を押し出した勅使河原宏監督の『砂の女』や『他人の顔』とは違う良さがある。

段ボールに入った永瀬正敏の箱男と、浅野忠信の入ったニセ箱男とのシュールなやり取りに笑いつつ、ロック調の音楽に乗せられるとポップコーンが止まらない、そんな映画である。

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芦田央(DJ GANDHI)
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。面白い記事が書けるよう精進します。 最後まで読んだついでに「スキ」お願いします!