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母親は過保護過干渉、父親は亭主関白
育った家庭の話です。
母親
母親は、怒らない叱らない本っ当~に、ヤサシイヒトでした。
いつも微笑んでいました。
何を言っても、反論せず聞いてくれました。
家を出るまで、おかしいって思わなかったのは、それが当たり前になっていたからです。
母親も、自分の感情を押し殺して「いい人」を演じる人だったのかな、と今さらながら思うのです。
まあそんな母親に甘えきっていた私は、見事な甘ったれになってしまいました。
母親にも感情があるってことは知っておきたかったです。私が知ってるのは、母親の微笑みだけです。あとは幼い頃の夫婦喧嘩で、父親に対して泣いたり責めたりしている姿。
だから私は、泣く責める微笑むばかりの、感情を知らない人に育ちました。
あと過干渉なところが多々ありまして、先回りしてなんでもしてくれましたね。
服も勝手に選んでくれたし、高校も母校を勧めてきてくれたし、なんか自分で選ぶっていう選択肢はありませんでした。
自分で選ぶ、決める癖は幼い頃から身につけておくべきです。
私は、それが完全に阻害されてしまって、自分について考えることすらストップしてしまいました。
母は、きっと、安心したかったのでしょう。だから私の行く先をコントロールしたのでしょう。
でもそれは母自身のためであって、私のことを思っての行動ではなかったのだと思うと、悲しい気持ちになります。たとえ無自覚だったとしても。
父親
父親は、とりあえずコワイ存在でした。
きょうだいをいじると怒鳴るし、いつも威張ってるし、外出では機嫌が悪くなるし。
それでも子には変に気を遣ってくる。
本音は言わない。
雑談もない。
一緒に遊んだ記憶もない。
何を考えているのか全くわからない。
父親自身もそういう親のもとで育ったのかもしれませんけどね、知ったこっちゃないですよ。
ちゃんとお父さんしてほしかったです。
遊んで、抱っこして、話しかけて、会話して、子の前でも母親と仲良くしてほしかったです。
私の中では、幼い頃の夫婦喧嘩のイメージしかなくて、父母はずっと仲が悪いものなんだと思っていました。
だからね、結婚式の両親への手紙は、本当に苦痛でした。書くことを絞り出したものの表面的なことしか書けず。ちっとも泣けませんでした。
物理的に何不自由なく育ててもらったことに対しては、本当に感謝しています。
ただ、愛情だとかあたたかさだとか人間的ななにかが、全然足りない家庭でした。