地雷原を歩く
これまで自分は「断酒の誓い」を何度立て、そして何度
それを破ってきただろう。
アレが悪かった。
コレがなければ…。
それがアレだったから…。
100%「言い訳」である。
依存症者に飲む理由はない。そんなものは要らない。
理由があって飲むなら、理由がなくなれば飲まないはずだ。
理由があってもなくても飲む、理由があった方がなんとなく
飲みやすいから「言い訳」を考える。それが依存症者だ。
依存症者が過ごす日常は、地雷原を歩くことに似ている、
と思う(地雷原を歩いたことないけど)。
今日、無事に歩けたからと言って、明日も大丈夫だという
保証はない。
独りでは危険すぎて、とても歩けない。
だから、仲間と歩く。
無事に歩き続ける人。足を吹き飛ばされる人。命を落とす人…。
私たちは無事な人からも、そうでない人からも学ぶ。
そして自分自身も、何らかの形で仲間の教材になる。
依存症者には、同じ依存症者を救う力がある。
医者が匙を投げた依存症患者たちが、依存症者に救われ、
今度は別の依存症者を救っていく。
仲間と歩き続ける限りにおいて、私たち依存症者は、
社会的落伍者でも、負け犬でも、可哀想な人でもない。
依存症者であることで、すでに役割が与えられている。
生きていく意味がある。
素晴らしいではないか。