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395 横浜市教育委員会の作戦


はじめに

今日の教育コラムでは、日本国憲法の趣旨に反していることに気が付かず公的職員を動員していた横浜市教育員会の関係職員の行動について少しお話してみたいと思います。

裁判は公開され誰もが傍聴できる

戦時中の様に裁判が密室で行われ、法ではなく権力で支配されないように、日本の司法制度では、公開され、誰でも傍聴できるようにするというのが、原則となっています。
しかし、横浜市教育員会は公務員を大量に動員し、この原則を破壊する行為を長年にわたり行ってきました。傍聴席を埋め尽くして、隠ぺいに努めていたと疑われても仕方ないのが、その事案が横浜市の教員による複数の性犯罪事件であったことです。元校長を含め性犯罪を行った教員の裁判にのみ横浜市教育委員会が、多くの事務局職員を動員したわけです。これにより、一般人が傍聴できない事態となっていました。
動員された職員には、現場では知り合いであることを悟られないように会話やあいさつもしないことなどの指示がいくつもされています。つまり、計画的な動員により、先着順であった傍聴の権利を独占する行為をしていたわけです。

裁判の原則

裁判公開の原則は、戦前までの秘密裁判への反省から、裁判の公正を守り、司法に対する国民の信頼を高めるためにあるという話を暴騰しましたが、これは憲法が保障する、民主主義社会の基礎をなす考え方の一つなのです。
教育に携わる者が、公然とこの民主主義の原則を冒涜する行為を行っている点に最大の問題があり、また、公務員として勤めているものが憲法を軽んじている行為を制止できないという点により一層の問題の本質があります。
この様子、つまり規範意識をもたない行為とその規範意識をもたざる者に問題を指摘できない行為は、まるで学校の中で放置されている「いじめ」の問題に通ずるものがあるように思えるのは私だけでしょうか。

実態とその規模の大きさ

横浜市教育員会は、児童生徒への性犯罪に及んだ教員の4つの事件で、2019年度から2024年度にかけて行われた計11回の公判で、管内に該当校がある学校教育事務所が、延べ500人を超える人に業務として、裁判の傍聴への動員を命じていました。
この行為が税金で行う業務として適切であったのかどうかも問題ですが、1回の裁判に平均して50人を動員していたわけですから、その間の教育行政の滞りが大きかったことは容易に想像がつきます。
もはや、横浜市教育委員会の立憲主義を無視した行動は、横浜市における教育行政の下での社会科における公民や公共の授業を教える側の信頼を奪うものになっています。それは、こうした学習がただのテストに出題される可能性のある内容以上の意味をなさないものとなってしまうことを意味してしまうのです。

自ら考え、自ら行動し、対話的で深い学びとは

教育委員会からの動員を呼びかける文書を詳しく見てみると、傍聴に集団で来たことが分からないよう裁判所での待ち合わせは避けるように指示が出ています。望ましくない行為であることを認識している人間は、こうして隠蔽を画策します。
知り合いが集まっていることを隠蔽してでも教育委員会がしたかったことを当事者たちは、被害者のプライバシーの保護だと答えています。しかし、そうした性犯罪を扱う場合において裁判所は、十分なプライバシーの保護に努めます。また、そうした法律も整備されています。
裁判所の判断で個人情報を伏せることができるわけですから、横浜市教育員会の作戦は、必要なかったわけです。実際に多くの職員を動員した裁判のほとんどが、被害者や被告を匿名にしていますし、犯行場所もあいまいに表現しています。
身内を守ることに一生懸命な学校という組織の中で教育委員会は、むしろ教員の問題行動について情報を社会で共有し、背景を考え、再発防止につなげるという大切な立場であるはずです。
横浜市教育員会のとった行動は、憲法の趣旨を無視した行動であり、教育行政への信頼を著しく損なうものであることを認識しなければいけません。よく開かれた学校という言葉を口にしますが、教育をより開かれたものにしていくためにも、教育委員会はどのような存在であるべきかを考える必要があります。教育長以下、横浜市教育員会の組織改革に今こそ真摯に立ち向かうべきであるように思います。

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