486 頑張れ‼ 後5日 斎藤元彦 兵庫県知事一緒に「人権宣言」について考えよう
はじめに
今から235年前の1789年の今日、8月26日はフランスの憲法制定国民議会が「人間と市民の権利の宣言」通称、フランス人権宣言を採択した日に当たります。今日の教育コラムでは、この「人間と市民の権利の宣言」について少し考えてみたいと思います。
フランス革命
1789年にフランスで勃発した、ブルボン絶対王政を倒した市民革命をフランス革命と言います。
封建的特権の廃止、人権宣言、王政廃止、憲法制定などを実現したこの革命はその後に共和政を実現することになります。貴族階級に代わりブルジョワ階級が権力をにぎっていくわけですが、この革命の過程で急進派と穏健派が分裂していきます。
アメリカ独立革命(1775年~1783年)、イギリスの産業革命(1730年~1780年)、そしてフランスの市民革命(1789年)は、時代を市民社会への移行へと突き動かしていきます。これらの時期を歴史では「近代の出発点」として重要な位置づけとします。
フランス人権宣言
このフランス革命の基本原則である人間の自由と平等・人民主権・言論の自由・三権分立などの17条からなる内容を記したものが人間と市民の権利宣言です。
人権宣言の中身をある程度理解するためには、17の条文をある程度、詳しく見ておく必要があります。今日のコラムでは、その中身を簡単にまとめておきたいと思います。
(フランス人権宣言の序文)
国民議会という形に組織されたフランス人民の代表者たちは、人の諸権利についての無知、忘却または蔑視が公共の不幸と政府の腐敗の諸原因であるにほかならないことにかんがみて、一つの厳粛な宣言のなかで、自然で、譲り渡すことができず、そして神聖な人の諸権利を表明することを決意した。
それは、この宣言が社会のすべての構成員の前につねに提示され、彼らの権利と彼らの義務をたえず彼らに想起させるためである。
それは、立法権の行為および行政権の行為が、すべての政治制度の目的と継続的に比較されることによって、よりいっそう尊重されるためである。
それは、市民の要求が、これからは単純で争いえない諸原理にもとづくことになるため、つねに憲法の維持とすべての人々の幸福に向けられるようにするためである。
このようにして、国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護のもとに、つぎのような人および市民の諸権利を承認しかつ宣言する。
※神聖:尊くて、おかしがたいこと。清らかでけがれがないこと。
※蔑視:見さげること。さげすむこと。ばかにすること。
※庇護:かばってまもること。
※恣意的:気ままで自分勝手なさま。論理的な必然性がなく、思うままにふ
るまうさま。
(フランス人権宣言の17条)
第1条 人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。社会的区別は、公共の利益への考慮にもとづいてしか行うことはできない。
第2条 すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。これらは、自由、所有権、安全および圧政に対する抵抗である。
第3条 あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。いかなる団体、いかなる個人も、国民から明示的に発するものではない権威を行使することはできない。
第4条 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。したがって、すべての人の自然的諸権利の行使は、同じ諸権利の享有を社会の他の構成員にも確保するということ以外には、限界をもたない。この限界は法によってのみ決定されうる。
第5条 法は、社会に有害な行為のみを禁止する権利を持つ。法の禁止しないすべてのことは妨げられず、また、何人も法が命じないことをなすように強制されることはない。
第6条 法は一般意思の表明である。すべての市民は自ら直接またはその代表者によってその形成に参加する権利を持つ。法は、保護する場合にも、処罰する場合にも、すべての者にとって同一でなければならない。すべての市民は、法の目からは平等であるから、その能力に従って、かつ、その徳性と才能以外による差別をうけず、すべての公的な位階、地位、職務に等しく就く資格を有する。
第7条 何人も、法が定め、かつ、法が規定する手続きに従う場合以外、訴追され、逮捕され、または拘禁されることはない。恣意的な命令を要請し、発令し、執行しまたは執行させる者は、処罰されなければならない。しかし、法により召喚されまたは逮捕された市民は、ただちに従わなければならない。抵抗する者は有罪となる。
第8条 法は厳密にかつ明確に必要な刑罰のみを定めなければならず、かつ、何人も犯罪に先だって制定されかつ公布され、そして適法に適用された法律によらなければ、処罰されることはない。
第9条 すべての人は有罪を宣言されるまでは無罪と推定されるから、その者を逮捕することが必要であると判断されても、その身柄を確保するために必要ではないあらゆる厳しい処置は法によって厳重に制限されなければならない。
第10条 何人も、たとえ宗教上の意見であれ、その意見の表明が法の定める公の秩序を乱さないかぎり、そのために不安を感じさせられないようにしなければならない。
第11条 思想および意見の自由な伝達は、人のもっとも貴重な権利の一つである。したがって、すべての市民は、自由の濫用に相当すると法が定める場合をのぞき、自由に話し、書き、出版することができる。
第12条 人および市民の諸権利を保障するためには、公的強制力が必要である。したがって、この力は、すべての者の利益のために設けられるのであり、それが委ねられた者の特定の利益のために設けられるものではない。
第13条 公的強制力の維持のため、および行政の支出のため、共同の租税が不可欠である。それはすべての市民のあいだに、その能力に応じて、平等に配分されなければならない。
第14条 すべての市民は、自らまたはその代表者により、公の租税の必要性を確認し、それを自由に承認し、その使途を追跡し、かつ、その分担額、基準、徴収および期間を定める権利をもつ。
第15条 社会は、あらゆる公務員に対し、その行政について説明を求める権利を持つ。
第16条 諸権利の保障が確保されず、権力の分立も定められていない社会には、憲法は存在しない。
第17条 所有権は不可侵のかつ神聖な権利であるから、何人も、適法に確認された公的必要がそれを明らかに要求する場合で、正当かつ事前の補償という条件のもとでなければ、これを奪われることはない。
フランス人権宣言の価値
アメリカの独立宣言などの各国の権利宣言のなかでもフランス人権宣言は、最も代表的なものとされています。
この序文と17条からなる宣言の中には、自由、平等、国民主権、基本的人権の尊重、所有権の確立などの原則が定められています。まさに、近代自由主義国家の政治観を代表した考え方です。
アメリカの独立宣言を参考にしながら、近代市民社会の基本原理を確立したこの宣言は、多くの国で翻訳されその中身が研究されました。ヨーロッパ各国にはいち早く広がり、この人権宣言は、各国の憲法や資本主義経済の発展および市民階級の勢いを高めることにつながりました。言い過ぎかもしれませんが、この流れが無ければ、日本の明治の初期に生じた自由民権運動もなかったのではないでしょうか。
斎藤知事に伝えたいこと
フランス人権宣言を見返していくとつい考えてしまうのが、今、兵庫県で起きている斎藤知事に対する告発文書問題です。権力によってもみ消され、尊い命が失われたことの基本的な問題は、権力者が法律や権力を行使するときに弱い立場の人間をいかに保護し、守りながら手続きを通して、その正義を示していくかということです。
私は、フランス人権宣言の中でも11条と15条に着目したと思います。自由に話す、発言するという行為がいかに重要なものであるのか、そして、公務員に対して社会は、その行為について説明を求める権利を持っているということをもう一度私たちは、認識し直さなければいけないと思うのです。
今回の兵庫県知事のふるまいは、こうした人権宣言の趣旨を軽視する行為だと私は思っています。