136 稲子
はじめに
稲刈りの風景が所々で見られるようになってきました。山梨県のコメどころで有名な北杜市でも梨北米の収穫が進んでいるようです。こうした収穫の風景は、使う道具や方法は違えども、数千年の歴史を重ね日本で脈々と受け継がれてきた景色の一つだと言えます。
そんな原風景を眺めていたら、ふと小学生の頃に初めてお金を稼いだバイトのことを思い出しました。今日の教育コラムは私の幼少期のバイト経験についてお話してみたいと思います。
イナゴを食す文化
私が小学校の頃に、初めて体験したバイトというのは「稲子(イナゴ)」を捕まえて売るというものでした。小学4年生の9月から10月ごろにかけて、そのバイトをしました。
ちなみに、イナゴは私の地域では大変よく食べられていて、私自身もとても好きな佃煮でした。甘辛く、ぱりぱりとした足の部分がとても好きでした。実は、それほどみんなが食べているものではないということを知ったのは、他県で暮らすようになってからのことでした。
稲子を食べる文化と歴史
イナゴを食べる文化というのは歴史があるものだということをご存じでしょうか。平安時代に書かれた日本現存最古の薬物辞典「本草和名(ほんぞうわみょう)」という本があります。とても有名な本ですから名前だけでも聞いたことのある人も多いかと思います。その記述の中にイナゴを食している様子が書かれています。また、江戸時代の有名な百科事典「守貞謾稿(もりさだまんこう)」の中には甘辛く味付けしたイナゴの蒲焼についての話が出てきます。串に刺して蒲焼にしたイナゴを食べていたという内容です。このよに、イナゴは日本人に馴染みの深い食べ物であったのです。
1㎏500円
さて、話を私の小学校の頃のバイトの話題に戻しましょう。このバイトは、とても単純なバイトなのですが意外と疲れます。まず必要なものは普通の虫取り網と昔よくミカンが入っていた赤いような黄色いようなネットのような袋です。
この袋に1㎏分のイナゴを捕まえて生きたまま近くの雑貨屋さんに売りに行きます。すると500円で買ってくれるというものでした。当時は、稲刈りが済んだ田んぼに入ってもだれも怒りませんでしたから、網を横に縦に振れば一回で5匹くらいは捕まりました。手でつかんでミカンの網に入れて口を縛り、また網をふってということを1時間もすれば1㎏くらいあっという間につかまりました。
毎回必ず2袋位は一杯になるまで捕まえて、自転車のかごに入れて買ってもらいに行きました。学校が半日の土曜日などは5袋位とったことがありました。9月の半ばから10月までの20日間くらいがこのバイトができる時期でしたから、なんと18,000円くらいの稼ぎになりました。
命を頂く
イナゴをミカンの袋のまま買い取ってくれるお店では、イナゴを甘辛の佃煮にして売っていました。商品になるとイナゴは倍くらいの金額になって売られていました。
たまに調理している様子を店先から見ることができました。ネットのまま水で軽く洗って、生きたイナゴを大きな鍋で沸かしたお湯の中にそのまま入れます。するとさっきまで激しく動いていたイナゴが皆おとなしくなります。しばらく湯がいて、お湯を切ると味をつけたタレの中で炒っていきます。
つやつやとしておいしそうな佃煮の出来上がりです。
私は、その光景を見たことや自分が捕まえて売ったものが商品になる様子に触れることで、イナゴを食べるたびに命を頂いている感覚を強くもつようになりました。
稼いだお金
イナゴを捕まえて売るという、とても貴重なバイト体験が初めてお金を稼ぐという経験になったわけですが、同時に命と向き合う体験をしたように思います。私たちは、命を頂いて生活している―それは、どんな仕事にも言えることで、働き手の時間という命を介してサービスを受けたり、物を買ったりしているわけです。
因みに、その稼いだお金はどのように使ったかというと、敬老の日のプレゼントと好きだった横山光輝先生の三国志を全巻購入することに使いました。