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609 兵庫県斎藤知事 「一木一草に至るまで」

はじめに

今日のコラムも、兵庫県の問題について少しお話をしていきたいと思います。先日の百条委員会と今年度最後の記者会見の話やそこでの様子を踏まえて皆さんはどのような感想や印象をおもちでしょうか。

印象深かったシーン

阪神・淡路大震災の復旧・復興を陣頭指揮された兵庫県知事と言えば、貝原俊民(かいはら としたみ)氏ですが、この方の残された言葉に次のような言葉があります。まずは、今日はその言葉を取り上げてみたいと思います。「県民の命は言うに及ばず、県土の一木一草に至るまで責任を負う。これが知事である。」
実はこの言葉を、現兵庫県知事である斎藤元彦氏も引用されています。復旧・復興に尽力された貝原知事の言葉をどのような心境で用いたのかわかりませんが、昨日の記者会見で、ジャーナリストの松本さんが最後に質問されていた内容がまさにこの言葉に対する斎藤知事の認識を推しはかる質問だったわけです。

自分以外は全て嘘

阪神淡路大震災が発生したのは1995年1月17日のことでした。阪神大震災が発生して今年で30年目をむかえます。奇しくも貝原俊民(かいはら としたみ)氏がお亡くなりになったのは、阪神・淡路大震災20年追悼式典のご準備をされている最中のことでした。
今回の百条委員会で見えたことの詳細は、すでに動画で解説しておりますが、総じて言えることは斎藤知事の受け答えの本質には、自分以外の他の方の発言は嘘であると言っているのに等しいということです。
ここで、やはりこの言葉の意味をどうとらえているのかという感想を持ってしまうわけです。
「県民の命は言うに及ばず、県土の一木一草に至るまで責任を負う。これが知事である。」
自分を心底応援してくれたPR会社に「盛っておられる」と言い放ち、幹部職員に対しても証言は記憶が無い、自分の認識はそうではないと言いきれてしまうわけです。このような対応は、告発者にしている対応とも同じなのです。自分が嘘八百だと思えばそれは真実で告発文書はあくまで誹謗中傷性の高い文書であるという指摘になってしまうわけです。

つまり県知事とは、県民の命は言うに及ばず、県土の一木一草に至るまで責任を負う。これが知事である。などといった意識は少なくとも今回の事案には見て取れないのです。
県職員への対応も含めてもそうですし、情報漏洩問題についても同様です。自分以外の状況や言葉に耳を傾け、そして、思いを寄せることができているのでしょうか。私にはそのことがどうしても出来ていないように思えて仕方ないのです。

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